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「生誕100年 松澤宥」長野県立美術館 レポート

 松澤宥100歳の誕生日となる2022年2月2日に、その多彩な活動を網羅する展覧会が、長野県立美術館でスタートした。
 本展では、初期の詩作や絵画から、オブジェと「オブジェを消せ」以降の作品、集団での活動、そして伝説的アトリエ『プサイの部屋』の再現など、第1章〜第6章を通して、松澤の生涯や思想に迫る。

詩から絵画、オブジェへ


 松澤宥(1922-2006)は、長野県諏訪郡下諏訪町に生まれ、生涯を通して同地を拠点に活躍したコンセプチュアル・アーティストである。
 松澤は長野県諏訪郡下諏訪町の製糸業を営む旧家に生まれ、早稲田大学理工学部建築学科に進学。卒業制作のエッセイ《廃墟・ルインについて》の中で「私は鉄とコンクリートの固さを信じない。魂の建築、無形の建築、見えない建築をしたい」という言葉を残し、同校を卒業。第1章の解説パネルでは、松澤が大学で学んでいたころは太平洋戦争の只中であり、そんな時に建築を学んでいたことが、物質や文明への批判的な考えを生み出すきっかけとなったのではないか、との見かたを示している。
 卒業後、一度は建築会社に勤めたものの、故郷の下諏訪に戻り、諏訪実業高校の定時制で、数学教師となる(定年以降まで勤めた)。その傍ら各地の同人誌に自作の詩を寄稿したり、北園克衛が主催した前衛詩運動『VOU』に参加、また自身でも『RATIの会』を主宰するなど詩人としての活動を広げていったが、言語を媒介しない表現世界を目指すようになった松澤は、絵画表現にも手を伸ばしていった。自身が主宰となって『アルファ芸術陣』も立ち上げるが、その後すぐに「美の客観的科学的測定法について」を研究テーマに、フルブライト交換留学生として、アメリカに留学することとなる。

 そして帰国後は、読売アンデパンダン展を中心に絵画やオブジェ作品を出品。



 しかし、1964年に夢で「オブジェを消せ」という啓示を聞き、《プサイの死体遺体》と名付けられた、マンダラ構造の中に言葉が書かれたチラシを会場で配布するという「非感覚絵画」を発表。それからこの作品を出発点として、以降のアンチ物質的な作品へと発展していくのであった。

集団での活動


 続く第3章では、松澤一人ではなく、集団による表現活動に焦点を当てる。まず松澤が他者(人間とは限らない)とのコミュニケーションを図るのに使われた《メールアート》から始まり、本格的な集団活動へと展開していった様子を紹介していく。
 松澤は、1969年に長野県立美術館の前身である長野県信濃美術館で開催された、「美術という幻想の終焉」展を皮切りに、松澤の周辺に集まった『ニルヴァーナ・グループ』と呼ばれる人々と精力的に活動を行うようになる。1971年には霧ヶ峰高原の御射山に樹上の小屋『泉水入瞑想台』をつくり、そこに「ニルヴァーナ」系の表現者たちが集って、『音会』『山式』などフリー・コミューンによるイベントが開催された。また、この頃からアムステルダムのアート・アンド・プロジェクト画廊などを通して、海外作家との交流が増えた松澤は、国境を超えたコレクティブ活動の呼びかけも行った。

 1977年、サンパウロ・ビエンナーレにて《九想の部屋》を発表。ここでは当時の展示が再現され、9つの観想がそれぞれ9枚の紙に書かれ床に等間隔に置かれているのを取り囲むように、ニルヴァーナ・グループの行為の写真が壁に展示されている。



 そのほかにも、冒頭で松澤はずっと教師をしていたと紹介したが、松澤は東京の『美学校』でも教鞭をとっていた事がある。因みに、筆者が松澤宥のことを知ったのも、『美学校』に通っていたときであった。教えていたのはもちろん数学ではなく、「すべてを消去するかにみえる〈最終美術〉は果たして可能かとの公案を巡って回転し、表現行為に身を委ねようとするもの」に対して開かれた講座だ。1973年には、諏訪市に『美学校諏訪分校』も開校する。

消滅する前に


 ところで、松澤は生涯を通して「消滅」という観念を掲げてきた。松澤と言えば「人類よ消滅しよう行こう行こう(ギャテイギャテイ)反文明委員会」と墨で書かれた「消滅の幟」を真っ先に思い浮かべる人もいるかも知れない。



 因みにギャテイギャテイ(羯諦羯諦)とは般若心経にある一節であるが、松澤はその後も「壊色論」(1984)などで仏教思想や言語を媒介とする作品を発表していく。第4章では、それらをはじめとする「言語」と「行為」による作品を多数紹介しながら、自らの芸術を量子力学に準えた「量子芸術」へとたどり着く。

 さていよいよ最後の第5章〈再考「プサイの部屋」〉まで来た。「プサイの部屋」とは、諏訪大社下社秋宮付近に建つ松澤の自宅にあったアトリエで、親交の深かった瀧口修造によって名付けられた。現在は老朽化で片付けられ、かつての姿は「消滅」してしまっているが、2018年に長野県立美術館、および信州大学工学部建築学科寺内研究室が共同で調査をした際に撮影した写真を実寸大に引き伸ばして展示したり、実際に使用されていたものを設置して、当時の様子を再現している。また、QRコードを読み取ると、手持ちのスマートフォンやタブレット上でも「プサイの部屋」を再現することが出来る様になっている。



 ここで、「オブジェを消せ」と言いながら、形を持った作品群をはじめ、様々な「もの」が数多く松澤の空間に集積していたことに気づかされる。松澤は「プサイの部屋」について、

 とにかく、僕は、とことんものに、それこそ舌なめずりをしながらものをだいていた。そういうことをやっていた。死屍累々のプサイの部屋ということなんでしょうか
『機関』13/「対談―プサイの函のなかで 松澤宥―菊畑茂久馬」1983

と語っている。

 さて、松澤が予言した「人類消滅」の2222年まで、200年となったが、松澤の作品は今を生きる我々に、どの様に語りかけてくるだろうか?
 消滅する前に、じっくり松澤作品と対峙してみてはいかがだろうか。



参考:解説パネル、プレスリリース
挿絵:筆者

展覧会概要
生誕100年 松澤宥
長野県立美術館(展示室1•2•3)
期間:2020年2月2日(水)~3月21日(月・祝)
開館時間:午前9時~午後5時(入場は午後4時30分まで)
休館日:毎週水曜日(ただし、2月2日・2月23日は開館)、2月24日(木)
観覧料:一般800(700)円、大学生および75歳以上600(500)円、高校生以下無料

詳しくは美術館・展覧会HPをご覧くださいhttps://nagano.art.museum/exhibition/matsuzawayutaka

また、既に終了してしまったものもあるが、下諏訪町立美術館、赤彦記念館などをはじめ、松澤が生涯を過ごした故郷の下諏訪町で、関連する展示やイベントを開催する松澤宥生誕100年祭も開催されている。詳しくは下記HPまで。

https://matsuzawayutaka.jp



筆者について
渡邊亜萌(美術家)
1993年神奈川県生まれ。
2016年明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。
2018-2019年度美学校『中ザワヒデキ文献研究』正規受講生。
2020年個展『強いAI』
2021年12月個展『人間らしさを守る人間の会』
参考記事:渡邊亜萌個展『強いAI』
Twitter: @amoe1582797

レビューとレポート第34号(2022年3月)

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