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海外SNS視点でみる「北海道の失敗」と、実際に札幌で自分が感じていたこと

SNS上の英語ニュースBrut.で北海道関連のニュースが流れてきた。「北海道」という視点から語るものは、おそらく今までなかったので、目についた。2月29日から3月19日にかけて、北海道は3週間ほど都市閉鎖をした。三週間後、学校は再開されたが、またしてもコロナウイルスの陽性患者が増えはじめた。これを受けて、日本は全国規模で5月6日まで自粛を続けることに…というビデオニュース。

さて、日本の外側からみてどういう意図で、この時期に北海道のことを取り立てるのか、ちょっと考えたいところだ。米国からみると、「日本の失敗に学べ」と言うニュアンス。(まあそのとおりなんですけど)
米国自身が、国境閉鎖の解除や経済再開に向けて議論するための呼び水として北海道を取り上げている印象。州レベルでは、ジョージアとネヴァダの知事は、是が非でも不要不急以外のカジノやヘアサロンを再開したいようだ。

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ここで取り上げられている北海道の自粛について、札幌のまちなかに住む私の実感だけ書くことにする(ファクトだのエビデンスは私より詳しい人が5万といる)。

件の3週間、主に休校措置とインバウンドが消えた以外の社会的変化は見受けられなかった。大人の間には「自粛してりゃ良いんだろ」的なやるせない疲弊のみが広がっていった。乱暴な言い方をすると、その間ソーシャルディスタンスについて学ぶとか、そういう教育の機会を作れた人は少ない。むしろお互いにそんな雰囲気を打ち消すかのように、お店やライブハウスが「こんなときだからこそがんばります」というやる気を見せる系イベントを沢山催していた。普段からインフルエンザによる休校の経験もなく、3.11以降のマスク着用や脱被ばくへの取り組みも経験していない道民にとっては、「わけわかんないけど、耐えてます」の3週間だったのかもしれない。そうだとしても無理もない。

3.11後の本州では、脱被ばくの取り組み方で夫婦間の離婚なども増えた。しかし札幌の一般的な人々にとっては、よくもわるくも(地理的にも政治的にも)東北や関東での福島第一原発事故や津波被害などは遠い話。別に足並みを揃えて日本中同じことに苦しめというつもりはない。しかし今回「はじめて夫と意思疎通が難しくなった。俺は関係ねえとばかりにライブハウスを応援しに行くから…」と言葉を濁す人の声も身近に聞くにつけ、そいつぁ大変だろうなと思う。私の独り身なりのコロナ対策については、また別のときに思い出したい。

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そして、自粛明けの3月後半から4月にかけて、「地元を応援しよう!」祭りやパーティーの連続。鬱屈の溜まった人たちは、沖縄などの離島へ繰り出していった。

「自粛」という言葉は、いかに罪作りか。
① 感染防止する行動を選ぶこと
② 感染経路やリスクの見えない行動を選ばないこと
の2点につきるのだが、
なにか「自粛」という言葉を具体的な行動と照らし合わせないかぎり、ただの我慢大会だろう。

今北海道や沖縄で陽性者が増えているのは、当然に思う。「私にはわかってた」風を吹かせたいわけじゃない。しかし、今日の時点で6月以降に期待をしている人たちが多いことを危惧する。つまりぼちぼち何かが再開して、日常をとりもどせると思っている人が、北海道には多いのだ。3月19日に収束をぬか喜びした人たちとあまり変わらない。(東京に政治的・経済的におもねることにも慣れ切っているのも相まっていて、恐ろしいのだ)

東京から嘆きの聞こえている「3密」というのも、また罪作りな言葉だ。
札幌も、気温がマイナスでなくなり、豊平川や公園には人が溢れている。デパートがなくなれば、行くところがない。ご丁寧に一列にびっしり並んで、礼儀正しくサイクリングロードを縦走している。こんなときぐらい「マナー」違反をして、横広がりになるなどしてほしい。おそらく野外だから、3つの密は重なってない、と思っているのだろう。

一昨日4/28の知事会見にて、鈴木知事は札幌市内で営業中のパチンコ店について言及した。のこり13店舗中の12店舗中が近日中に休業する。残り1店舗からは返事がないとのこと。

世界中のギャンブルマシーンの60%は日本にあるという。真面目に通い詰めるほかない依存症の人々が沢山いて、子どもは子どもでガチャポン依存症だ。行き場をなくしてしまう人々について、とても気になる理由が、私にもあるのだけれど、それはまた別の日に書く。コールセンターのクラスター問題についても、また別の機会に。

ヴィム・ヴェンダース監督の「東京画」


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