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Part2 : 【横山莞五】2年前に書いた「両親をそれぞれ失って」加筆修正版

2年前に私が書いていた記事を再編集してアップしていくシリーズ。

いよいよ始まりました。

今日は以前書ききれなかったことのうちの一つで
最初に書き起こそうかなと思うものがありまして。

そもそも
「父 横山莞五」とはどういう人物だったのか。

母は演奏家でしたので、まだ情報は出回っていたかと思いますが、
父に関しての情報はなにぶん少ないかと思います。


というわけで、

彼の経歴を昔実際に使っていた
コンサートパンフレットから見つけ出してきましたので、
以下に引用してみます。


横山莞五 (よこやま かんご)

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昭和7年大阪に生まれ、昭和27年大阪音楽高等学校弦楽科を主席で卒業後、松本音楽院にて鈴木鎮一氏に師事。昭和28年W・シュタホンハーゲン氏来日と同時に教えを受け帰国されるまでの12年間を同氏について幅広い曲目の研究をする。またその間、永井幸次氏(初代大阪音楽大学学長)の薦めにより、同氏を顧問として昭和32年に横山莞五バイオリン教室を開設する。昭和43年、同教室の上級クラスの希望者のみで横山莞五トリオ・アンサンブルを組織し、日本弦楽指導者協会全国大会に4年連続出演し、好評を得る。日本弦楽指導者協会東京本部理事及び関西常任理事。 【1975年のコンサートパンフレットから】


もういまから40年以上も前のものですが、ざっと見ていただければ分かる通り父はヴァイオリンの指導者、「根っからのレッスン屋」でした。

ヴァイオリンをされている方、ヴァイオリン教室に通われた経験のある方ならスズキメソッドなる言葉をご存知ではないかと思いますが、

あのメソッドのそもそもの創始者が「鈴木鎮一」氏でして、
若かりし頃の父が習っていた先生のうちの一人でもありました。

その時に子供たちに対する「才能教育」とは?など、
父の指導スタイルにつながる経験を育んでいったようです。

「信州松本で鈴木鎮一先生に習っていた」と生前の父から
晩ご飯での時や、出先の病院での喫茶店でお茶しながら
話を聞かせてもらった記憶がたくさんあります。

また、経歴に「昭和7年生まれ」と書いてあります。

皆さん、昭和7年というと
どんな時代だったか、ピンとこられますでしょうか。


父が生まれた1932年

その前後で、といいますとですね


ちょうど世界大恐慌がクリーンヒットしていた時期で、

また満洲が建国されたのもこの時で、

さらにアメリカでは同年ルーズベルト大統領が就任。

第2次世界大戦が始まった時は、父は7歳。

そして戦争が終わった時というと、父は13歳。

まさに「昭和一桁世代」と呼ばれる世代が父なのですね。

とはいえ、父がどれだけ激動の時代を生きてきたか
想像しやすくなりましたでしょうか。




対して、娘の私は

ザ「ゆとり世代」。



私の世代から見れば普通は祖父母から聞くような話を
実の父から聞いて育った、そんな感覚です。


何せ、私は父が57歳の時の子供。


こんなにも世代格差のある二人が
母亡き後、6年間共に暮らしてきました。


改めて考えると
いろいろ面白い経験だったんだなぁ、と
今ようやく客観的に感じて見れるようになったと思います。


今回加筆修正、再編集してアップしたいと思ったのは
以前の時は主に私の主観的な目線で、父のことを書いていたのですが

今回は横山莞五という人物の情報をさらに盛り込んで
もう少しだけでも改めて皆さんに父のことを
そして、それに合わせて横山家のことを知っていただけたらなと思ってのことです。

また、私自身が日本に帰国して以降の思い、父娘での葛藤、
それらを通して「横山亜美」がどうできていったかも伝われば嬉しいです。


ではここで2年前に私が書いたこのシリーズを始めるにあたって書いていた最初の文章の一部をそのまま引用します↓


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読売テレビ「グッと!地球便」(2017年6月放送)に
父も出演していたので記憶に新しい方もおられるはず。

その父が、あっけなく逝ってしまいました。

そしてある意味、この6年の親子の闘いが終わった、とも言えます。

闘い、と書くと、親子の仲が悪いんかと突っ込まれそうですが
そうではありません。

2012年に母を失ってから
父と娘、お互いに葛藤を抱え
ぶつかりあって
見たくもない感情を見て
それでも乗り越えて
父子の対話が成り立つようになり

突然父は逝ってしまったけれども

ちゃんと見送ることができて安堵した自分がいる
そういう意味で闘いが終わった、思える自分がいるんです。


(中略)



今これらの気持ちを書いておくことで
次のステップに進めるのではないか、
親を乗り越えて、自分の道を行けるのではないか

そんなことを思いましたので、、、
長々となりますが

これまでの横山家のことと、現在の心情、
そしてこれからへの思いを書き綴りたいと思います。
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次回から2年前に書いたブログを引っ張り出していきます、まずは私の幼い頃の父に対してどんなふうに思っていたかというお話から。

シリーズ本格的な投稿が始まります。



以下、私の父の若かりし頃の貴重な写真を数点、載せております。時期的にはちょうど信州松本へ鈴木先生の指導を受けにいっていた頃だと思います。

有料とさせていただきますが、あくまでもおまけの区分ですので、ご覧になられなくとも、何も問題はございません。

父上の若い頃を見たい、という方だけ、閲覧してください^^

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