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Part3 : 【昔の父のイメージ】2年前に書いた「両親をそれぞれ失って」加筆修正版

2年前に私が書いていた記事を再編集してアップしていくシリーズ。

まず、
父からヴァイオリンのレッスンを受けていた時代から幼い頃から中学生の頃までの体験を通して、父のことに触れていきます。


当時の父の姿のイメージというのは
私の記憶に残っているものから表現すると

「モンスター」、という一言だったかなと思います。


なぜ、そんな印象を持つようになったかというと

それは、父のヴァイオリン教室での先生としての指導方法が今の時代ではちょっと考えにくい大変に厳しいものだったから、かと思います。

父がレッスンをする際出来が良ければ、褒められて終わり、なので何も問題ないのですが

練習があまりできていなかったり父の想定するような弾き方ができていない時だんだんと眉間にシワがよっていくのが見えるんですね(笑)

そして、いつ、どのようなきっかけで怒り出すのかがわからず、そのために萎縮した演奏をしてしまうと結果めちゃめちゃ怒られてしまう、という負のスパイラルに陥りやすい。

そういうわけもあってビクビクしながらレッスンを受けていた記憶があります。

同じ箇所で2~3回間違えば、楽譜の束でで頭を叩かれたり、げんこつくらったり、ビンタされたり。


そういえば、晩御飯抜きもちょくちょくありました。

また、経緯は忘れてしまったのですが冬の寒いある日に姉妹でベランダで立たされていたこともありました。


いっそ幼すぎる時は意外にそういう環境にも順応していたようですが

思春期ごろになるとそうもいかず、自分自身が「なぜヴァイオリンを弾いているか」その意義を見出せなくなりました。


また私の場合、家族の中で一人だけ絶対音感を持っていたが故に

自分が奏でる音の中での音程のはずれる瞬間、その一つ一つが地獄の苦しみのように感じられ1分1秒の練習が拷問のような時間であり、多大なストレスを抱えていました。

当時の私の言語能力的には、自分の中で起こっているこれらの事象を「何故苦しいのか」という理由をうまく説明できませんでしたし。ですので、両親からの理解を得ることもできませんでした。

そうして様々な事情を抱え、練習への意欲も落ちまして

父から見れば私は「怠けている」ようにしか見えなかったでしょうから
尚更レッスン中、怒られることが増えたように思います。

横山家においてのルールとして中学3年までは「義務教育の一環として」ヴァイオリンを習う必要がありました。

ですから、練習をしていないということは「悪」でもあったのです。
少なくとも当時の私はそう思っていました。

「練習をしなければならない」
「けれど自分は練習をしていない」

その罪悪感をもっていたがために、横山家内ではいつもビクビクしながら過ごしていた。

そんな記憶がなんとなく残っています。

少々曖昧な書き方しかできないところがあるのはたぶん鮮明にはもう思い出さないように自分が忘れたこともあるのだと思います。


私が5〜6歳のときでしょうか。

耳に入ってきて欲しくなかった一つの思い出があります。

廊下の向こうのほうにある部屋で、母に向かう父の怒声。
怖くて聞きたくなくて、
布団を頭から深くかぶって、耳を塞ごうとして
必死に寝入ろうとするのだけれど、
塞ぎながらも、遠くから、隙間から、

やっぱり怒声が聞こえる。

本当に幼い時代での昔の父の記憶は、こういうものが割とあります。


とはいえ、こんなふうに書いてしまいますと、どう考えても「ひどい父親やん」というように見えてしまいますよね(笑)


小さい頃から中学生くらいまでは、父は絶対的存在であると、素直な私は信じていましたし
、父の教育はすべて正しい、とまで信じて育ったものですから当時の自分は「怖い」という気持ちをあまり感じなかったと言いますか

実際は「怖い」と感じていたのでしょうが、自らその感情に蓋をし、盲信するという形で、当時は乗り切っていたのだと思います。

ですが、さすがに中学生以上になると、「うちは何かがおかしい」、そう気づきだしはじめました。

高校卒業をして半年後程の18歳、姉を追って同じイタリア・クレモナへの留学を機に、父からはだんだん遠ざかるようになっていきました。



次回は10代後半から20代初めのあたりまでの父のお話と父と娘をつなぐ重要な存在について触れていきます。

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