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器用貧乏の功罪

「器用貧乏」の定義って?

世の中に器用貧乏と言われる人は多い。しかし人間の資質として、器用貧乏は長所なのか短所なのかがよく解らない。器用と言うことだけなら長所に違いない。が、その後に付く〝貧乏〟が問題なのだ。

〝なまじ器用なために、あれこれと気が多く、また都合よく使われて大成しないこと〟(「広辞苑」)。或いは、〝何事も一応はうまくできるために一事に徹底できず、かえって大成しないこと。また、そのような人〟(「大辞泉」)とある。これを見る限り、どうやらあまり長所であるようには思えない。

私はこの言葉の意味を辞書によって確かめたことにより、何だか落ち着かない気持ちになってしまった。なぜなら、これは当に私のことではないか、と思い当たるからなのである。「広辞苑」「大辞泉」で引かれている意味において、心当たりはいくつもあるのだ。

子どもの頃から現在に至るまで、私は色々なことに手を出してきた(〝あれこれと気が多く〟)、そして、大抵のことは人並み以上の速度で習得し、人並み程度の出来具合に仕上げられるようになる(〝何事も一応はうまくできるために〟)。

しかし、そこでスキルはストップする。もうそれで自分自身は納得してしまい、人並み以上の〝腕〟になる前に、新たな分野に目が向いてしまうのだ。(〝一事に徹底できず〟)

その結果の現在は、大成どころか小成も出来ずに、ただウロウロと日々を過ごしているのである(〝かえって大成しないこと〟!!)。まるで私の事ではないか。大辞泉では、ご丁寧に〝また、そのような人〟と太鼓判を押してくれている。これは大変だ、どうしたものかと狼狽うろたえても、今更変えようの無い事なのである。

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会社勤めで判明した、私の「器用貧乏」度

数十年前、初めて商社に就職した時、タイピストのように連日英文タイプを打ち続ける仕事が回ってきた。当時の英文タイプは電動式で、トライアンフ社とIBM社のものが主流だった。トライアンフはアルファベットの幅が全て同じに出来ていたが、IBMのは、例えば〝I〟と〝M〟は幅が異なる。

見た目の綺麗さの為だ。書類やレター類は必ず2枚から3枚の複写が必要となるので、カーボン紙を挟んでタイプする。あとでミスタイプの箇所が見つかると、カーボン紙を小さく切ってその箇所に挟み、単語の中のミスの部分を打ち直すことになる。

この時、IBMのタイプライターで打った書類は、字幅が異なるため修正が厄介なのだ。複数枚に打たれた文字にずれを生じさせず、且つ、前後の単語との間隔を保ったまま字幅の異なる文字の修正を仕上げるにはひと技必要となる。

企業秘密なのでここでは明かさないが、私はその類の修正が得意だった。ついには、他の課からも修正を頼まれる始末と相成ってしまった。と言って、秘書検定や1分間に幾つの英単語を打つことが出来るか、という検定資格なども持っていない。ただの〝便利屋〟である。器用貧乏の面目躍如めんもくやくにょと言ったところだろう。

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器用貧乏の隠されたメリット・・・

後述する内容に関わってくる事なので申し上げるが、自慢するつもりでは、全くない。これまで私が手を出したことは、各方面に亘り、両手指では間に合わない数なのだ。

曰く、編み物・洋裁・お菓子作り・刺繍・カービング・華道・香道・ピアノ・イラスト描きなどに始まり、バスケットボール、テニス、乗馬にバイク。まだまだあるが、ざっと思いつくだけでもこれくらいある。

そして仕事とは言え、未経験の世界に飛び込んだ音楽と今では写真の世界。何と気の多い事だろうと今更ながらに思う。そして〝器用貧乏〟の哀しさ、それらのいずれも人様より抜きん出た技術を持つ事柄は一つもないのである。

私の周囲には「一芸に秀でた人」、が多く存在していたし、現在でも存在している。他の事は出来なくても、コレをさせれば天下一品、の人たちだ。

何をさせても一流、という人は、もはや〝天才〟扱いである。他人と比べる愚は犯したくないが、時折、我が身を振り返りがっかりすること多し、なのである。

と、ここまで悲観的な言葉を連ねてきたが、それでは余りにも寂しすぎるし、世に多い〝器用貧乏〟な人たちを、私と一緒に奈落の底へ道連れにするのも気の毒なので、少し方向を変えて考えてみたい。

気が多い〟という事は、好奇心旺盛であるという事につながる。好奇心が強いので、少し興味をひかれるような事に出会うと、やってみたくなる。で、やってみる。

そんな繰り返しのため、様々な分野の事柄が、広く浅い知識として蓄積されて来るのである。これは大変ありがたい事で、初対面の人と話をしても、話があうことが多く、話題に窮することが少なくて済むし、会話も盛り上がるのである。

そして、次に新しい分野に手を出した時、過去に経験した知識を応用できると言うメリットがある。私で言えばピアノを習っていた為に、譜面は読めるし、音も取ることが出来る。これは音楽業界で仕事をするようになってから、CD制作場面などでは非常に役立った。

一般的に言っても過去の経験が多岐に渡れば、それだけ知識の転用・応用が出来やすいという事が言えるであろう。そして、親愛なる我が同胞・器用貧乏種族は、又しても新たな事柄に手を出し、器用貧乏に益々、拍車がかかるのである。

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ヒーローになれなくてもいいじゃない?

こう考えると器用貧乏の功罪、とも言うべき図式が見えてくるようだ。しかし、たった一回の人生、たくさんの事をやって広く浅い知識を溜め込み、それらを次々に転用・応用する生き方も良いではないか。

一芸に秀でることの出来ない人間にとっては、ねたまず、ひがまず、ただただ「すごいなぁ」と彼らを憧憬どうけいの眼差しで眺めているのもまた良いと思う。

ヒーローは必要だ。自分はヒーローになれなくても、社会の潤滑油のごとく人間関係を良好に保って人生を送れるのもまた、器用貧乏的生き方であろう。

〝長所だけ見て喜ばず、短所だけ見て悲しまず〟のバランス感覚を大事にして、器用貧乏的生き方を楽しむことにしようと思う。

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                    文責・写真 : 大橋 恵伊子