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恋はするものではなく落ちるもの、だった話。

気付いた時には手遅れだった。
理性や理屈などではどうにも出来なかった。
どんなに足掻いて抗おうと無駄だった。
気持ちを止められなかった。
 
これを読んでいる貴方は、「恋」という言葉に何を思うだろう。
そして、「恋愛感情」というものをどう捉えているだろう。
 
私は昔から何度か聞いた事がある。
「恋はするものではなく、落ちるもの」なのだと。
実際に「恋に落ちる」まで、私は「恋をして」いた。
そして、それが「本当の恋」なのだと信じていた。
もちろん、私の過去の恋愛が偽物や思い込みだったとは思わない。
ちゃんとその時々なりに恋心を抱いていた。
しかし、今なら分かる。
落ちてしまった今の想いこそが、「本物の純然たる恋愛感情」なのだと。
 
40手前のオバサンが、いい歳こいて何を言っているのかと笑われるかもしれない。
が、恋に落ちるのに年齢など関係なかった。
物事の分別がつき理性がまともに働く歳だからこそ、私は恋に「落ちてしまっている」のだと思う。
 
こんな話を書いていると誤解する人もいるかもしれないが、私は決して惚れっぽいタイプではない。
恋バナばかりするタイプでもないし、恋多き女でもない。
人生の内で恋をしていた回数は片手で数えられるし、恋愛経験はとてつもなく少ない。
告白した事もされた事もあるし、声を掛けてくれる異性がいなかった訳ではないものの――
それはまた別の話である。
 
そんな恋愛脳とは程遠い私が、何ゆえ恋に落ちたのか。
思い返せば理由は容易に想像がつくし、説明も出来る。出来るけれど……
そんな理由など、結局は後付けの解説でしかないのだ。
バカみたいだと自分で思うが、一言で表すなら「魂が反応した」と書けば感覚的には1番近い気がする。
私にとって、この恋は運命だったのだろう…たぶん。
 
魂だの運命だのと書いていると怪しまれそうだが、安心して欲しい。
自分で言っても説得力はないかもしれないが、私はかなりの現実主義者だ。
スピリチュアル系の話や占いは適度に好きだし悩んだ際にヒントを求めて利用する事はあれど、それを盲信するようなタイプではない。
信心深い所があるにも関わらず、己の信念さえ失わなければ「人に作られた神など不要」と思っている。無宗教派だ。
 
にも関わらず、私は確信してしまっている。
私が恋に落ちて10年以上想いを消せずに生きてきた事は、抗いようのない運命と呼ぶべきものだと。
 
恋に落ちるまで、私はこんなにも誰かを「理解したい、知りたい」と強く感じた事はなかった。
相手を誰よりも幸せに出来る自分になりたいなどと思った事は、これが初めてなのだ。
 
「恋愛感情」とはよく言ったもので、自分の心を覗き込むと2種類の想いが共存して見える。
「知りたい気持ちや独占欲」と「相手の幸福を願う慈しみの心」。
おそらくは前者が「恋」で、後者が「愛」なのだろう。
それらが絶妙なバランスで混ざり合って、恋が強く表に出たり愛がそれを覆うように大きくなったりしながら私の中にある。
 
これまでの恋愛でも、それらは確かに私の中で存在していた。
だが…違うのだ。
可能性がないという現実をどんな形で突き付けられても気持ちを消せなかった事など、今までの人生ではなかった。
時間が解決してくれたし、自然と他に目が向いたりして終わりに出来た。
それが出来ないのはただの「執着」や「依存」であると言われたりもしたが、そうではない事を私は知っている。
が、それを他者に理解してもらうのは非常に難しい。
周りから見た私は、「相手への執着を恋愛感情だと思い込んでいるイタいオバサン」なのだと分かるからだ。
 
周りから自分がどう見られて思われているかは、悲しいぐらいによく自覚している。
だが、本当に恋に落ちた事のある人になら分かってもらえるのかもしれない。
どんなに胸の中に生まれたものから抗おうとしても、優しく強く引き戻されてそこに帰されてしまうこの感覚を。
まるで深い穴の中に落ちて、そこで初めて本物の輝きを見付けてしまったような――
 
そこに落ちてしまったら、外の世界には出られても穴の中が自分の帰る場所なのだ。
他所へ行こうとしてもただただ苦痛を伴うのみで、耐えられない。
穴の中で見付けた輝きが星だと気付いて、手を伸ばしても届かない事に絶望したりもした。
それでも、その輝きをより強く感じられる穴の中が私にとっては幸せだった。
 
「あの星がこの中に落ちて来てくれないかな」
そう願った事もあるけれど。
今でもそれを願ってしまう自分がいるけれど。
落ちて来る事などないかもしれないし、流れた星が私のいる穴に落ちるかどうかも分からない。
 
しかし、もしかしたら私が星だと思っていたのは深過ぎる穴の中で見付けたダイヤモンドの輝きかもしれない。
遠い空の向こうにある星ではなく、元から穴の中に私と共にあったダイヤモンド。
それなら手を伸ばせば届く。
もしくは、実はそこに手を伸ばしたら同じ穴の中で輝きを見付けていた人と手を繋げるのかもしれない。
 
恋という深い穴に落ちてしまった私だが、今はそんな穴の中から見える景色をとても美しく感じている。
私がこの手に掴めるのは星なのか、ダイヤなのか、それともいつの間にか同じ穴に落ちていた人なのか……
その答えを知る日が、今は楽しみだ。
恋はするものではなく、落ちるものだった。
 

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