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【つぶやき&ひとりごと】08312023

 8月も終わり。時の流れのはゾッとするほど早い。世の学生達は、夏休みの課題を終わらせるのに必死になっているのだろう。記憶をたどる限り、私はあまり課題を溜め込んで苦しんだことは、ほぼない。というのも、性格上嫌なことは早めに終わらせておきたい質なのだ。遊びを優先させるか、仕事や勉強などしんどいことを優先させて終わらせるのか。選択が非常に分かれるテーマである。たとえ遊びを優先させたとしても、残っている課題のことが気がかりで存分に遊びを楽しむことができない。結果、遊びも満足に楽しめないまま、後に課題と向き合わなければならない現実が待っている訳である。そんなのは酷すぎる。それなら、ちゃっちゃと終わらせちゃえ★という考えの基、地道にコツコツ課題に取り組むのだ。

 あとは、完璧主義なので、課題の抜け漏れが生じるのを非常に恐れていた。自分の至らなさというか、不完全な部分を他人に見せたくないのだ。それに加え、小・中・高時代は一種の先生恐怖症のようなものに陥っていた。「叱られたくない」という不安な感情が渦巻くのももちろんだが、「先生をガッカリさせたくない」という思いの方が強かったように思う。たぶん、私は人一倍他人からの評価や視線というのに敏感なんだと思う。人からどう思われ、評価されるのか、という心配のタネに縛られることが今でもある。前述した完璧主義という性格も加わり、「課題やタスクをしっかりとこなさないといけない」とよく自分に言い聞かせていた。

 これはもう性格だから、完璧主義や心配性は一生つきまとうものだと思っている。あとは、話はだいぶ逸れるが人とのコミュニケーションのとき、「気を遣いすぎて少し疲れる」ことが多々ある。今の言動は相手を不快にしなかっただろうか、とかさっきの発言は相手を傷つけてしまったかもしれない、と一人悶々と悩んだり落ち込んだりする。相手は何とも思っていないかもしれないシチュエーションでも、勝手に心配し過ぎたりする。要するに、深く考えすぎるのだ。相手を尊重したいが故に、上手く感情表現や言葉の表現ができなかった自身を責めてしまう。このクセをなんとかしたい。コミュニケーション力は低い方ではない。でも、やっぱり上手く立ち振る舞えないこともある。それを引きずってしまう。これもまた、周囲からの視線・評価にビクビクしている結果故なのだろう。

 完璧主義や慎重さ(「心配性」という言葉は弱弱しいのでこの言葉に置き換えた笑)は悪いものではないが、度が過ぎると毒にもなるのだな、と感じる今日この頃である。これらの性格要素を上手に、ポジティブな方向に転換していきたい。

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