見出し画像

「2:休職編」ー25歳、キャリア迷子から抜け出したくて自分と向き合った話


前回からの続き

「休職編」

人生初のメンタルクリニック

とにかく心が折れていた私は、人生初のメンタルクリニックに行く。何が辛いのかはよく自分でも分からず、言葉にできなかった。でも無限マラソンみたいな感覚で、ゴールがわからないまま足を止めずに走り続ける感覚が辛かったんだと、今振り返って思う。

病院に着いてからも、「五藤ちゃんは太陽みたいだね!」とメンバーが言ってくれるくらい、明るさが取り柄だった私が、なぜこんなところにいるんだろう?という気持ちでいっぱいで、診察待ちの間もずっと泣いていた。

当時はとにかく誰かに話を聞いて欲しくて、助けて欲しかった。ただ、医者は思った以上に淡々としていて、その冷たさに更に泣けた(T-T)

病院に来てる人は、想像してたようないかにも病んでます、という人よりかは、本当に普通の、同い年ぐらいの女性、退勤後風のサラリーマン、とかとか。みんな頑張りすぎちゃったのかなーと眺めてた。

「身体が辛かったら病院に行くでしょ。それと同じで心が辛かったら病院に行くのは当たり前のことだよ。」

そう言ってくれる彼氏にめちゃくちゃ救われた。

診察後、ママに電話した。
「もう無理かも...」初めて親に弱音を吐いたと思う。入社後私が表彰されたことを親戚一同にも自慢しているのを知っているので、"自慢の娘"から外れたくなかったんだと思う。「どうしたの、帰っておいで」とすごく優しかった。帰る場所があることが、すごくありがたかった。

大休息時代

それからは、とにかく何も考えずにゴロゴロダラダラした。

いとこと動物園に行ったり、実家に帰ってママのご飯を食べたり。おばあちゃんとウォンカを観に行ったり、わんこと昼寝したりした。

思い出シェア。

人入ってる...?と思うぐらいおっさんの動きをするリーリー
誰も君の笹取らんのに必死すぎやん...
自分を肯定したくて手に取った『心をととのえるスヌーピー』に出てくる好きな1コマ。get a star-tan=星焼けするという言葉がすき。
大学の友人とバドミントン。本格派。
日向でブラッシングされるカノンさん

いったん何もかも忘れて、超わがままに生きた。支えてくれた両親にとても感謝している。あれやってみやー!これやってみやー!(超名古屋弁)と次々提案してくる一番上の兄もいて実家は賑やかだった(笑)

兄は元銀行員で今は自分で仕事をしているけど、試行錯誤しながら色んなことに挑戦している姿は尊敬する。私は三人兄弟の末っ子なので真ん中の兄もいるんだけど、彼は彼でオーストラリアにワーホリ中。みんな自由だな😂

年末には彼氏に会いにジャカルタにも行った。家族だけじゃなくて、学生時代の色んな友達に会わせてくれて、いろんな仕事観も聞いた。

日本に留学した子は、独特な新卒の就活文化に慣れなくて帰国した!って子もいた。ウンウン、不思議だよね、と思いながら聞いていた。私も、大学卒業後は自分を知るための放浪する期間を設けてもいいのに、と常々思っている。

そんなこんなで、周りの人の支えがあって、心と身体の休息が十分に取れた。東京で1人で家に篭ってたら多分死んでたと思う。改めて、周りの人への感謝の気持ちでいっぱい。

次回、「転職活動編」に続く...

この記事が参加している募集

仕事について話そう

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?