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ほんやくコンニャク

推しに会った。

正確にいうと、愛してやまないアラジンとジャスミンに、ディズニーシーのグリーティングで会って話すことができた。誕生日まで祝ってもらった。

アニメーションからそのまま出てきたのでは?というくらい、彼らは表情から所作まで完璧に美しくて、全身ジャスミングッズを纏っていた私は感動が止まらなかった。本物だ...本物が私の目を見て話しかけてくれている...!

けど、彼らが私に向かって何を話していたのか、理解ができない。

流暢な英語で明るく楽しくたくさん話しかけてくれたけれど、日本語しか話せない私は、彼らがなにを伝えようとしていたのかさっぱりわからない。

その事実がすごく悔しくて、虚しくて、学生時代もっと勉強しようとしなかった自分を悔いた。

どうして私の手元にほんやくコンニャクがないんだ...!

もし大好きなヒュージャックマンに会っても、オリビアロドリゴが目の前にいても、アランメンケンが突然現れたって、私は一言も彼らの言葉がわからない。

推しを目の前にしても、この愛を言葉で伝えることができない。

大きすぎる言語の壁を痛感して、唖然としてしまった。


英語と比べると、日本語って変な言語だ。

ひらがな、カタカナ、漢字、3種類も文字が混在していて、複雑。日本人である私も読み方を間違えたりする。あと敬語とかもとにかくごちゃごちゃ細かい。(そしてちょっと間違えただけで人としての評価をグッと下げられる。)

1単語の音の数が多いから、英語の歌を同じ音の数で日本語訳しようとすると、意味が不足してしまう。("Let it go"2回分が「ありの〜ままの〜」にしかならない。)

なにかをデザインする時も日本語のフォントだと一気にダサく感じるし、洋画の邦題とかもダサすぎてがっかりする。

くそう、ますますなんで私は日本語しか使いこなせないんだ。

(でも逆に、そんな複雑難解で個性的な「日本語」という言語を、幼少期から苦労せず使いこなせるようになってしまったことを誇らしくも感じるけどね。日本語にしかない美しさもたくさんある。)



この前テレビで、「タイの山の中から、タレントが数日間かけて自力で目的地を目指す」番組をみた。

初対面でもちろん言語も通じない環境のなかで、いちばん活躍していたのがGoogle翻訳。あれがないと、企画としてそもそも成り立たないし、なにより現地の人たちの心優しい言葉を我々が理解することはできなかっただろう。

なんだよ、ほんやくコンニャク、あるじゃないか!

今私たちは、様々な技術の進歩によって、言語の壁すら乗り越えられる状況にある。スマホひとつ持ってれば、世界中どんな人とも対話することができる。わかっていたことだけど、冷静に考えて、それってめちゃくちゃ最強じゃないか?

世界はせまい。世界はまるい。
たくさん壁を感じてしまうけど、案外今の私たちは無敵で、スルッと壁を越えられるのかもしれない。そう考えたらすごく楽しい気持ちになれた。


まあ、ディズニーシーでGoogle翻訳を駆使するわけにはいかないし、コンニャクを食べても英語は話せないので、もうちょっと勉強してから舞浜に向かおうと思う。

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