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プレゼント

「自分が他人からどう思われているか」に、ものすごく関心が強い。

噂話は良くも悪くも耳をダンボにして聞いてしまうし、「ア ミならこうすると思ったよ」とか「ア ミらしいよね」などと自分へ理解を示してくれるとものすごく嬉しい。「〇〇さんがア ミのこと褒めてたよ」なんてことがあればそれだけで1日中ニマニマしてしまう。

他人から少しでも関心の矢印を向けられることが、嬉しい。心の奥底に眠る「かまってちゃん」な部分がずっとうずうずしている。



そんな私にとって「プレゼント」はこの上なく嬉しい。

あの人が私にプレゼントを贈ってくれたということは、「ア ミにプレゼントを渡そう」と思い立ち、「ア ミならこれが喜ぶのでは?」と思考を巡らし、「ア ミのために」貴重な時間とお金と体力を費やしてくれた。

これ以上のありがたい幸せがあるか。
私のことを考えて、私のために贈ってくれたプレゼント。私に向けた矢印が大きければ大きいほど、嬉し恥ずかしくて高揚が止まらない。

「ああこういうの好きなのわかってくれてたんだ」とか、「これは思いがけない出会い!今の私に必要だった!」とか、とにかくプレゼントとは嬉しくて、恥ずかしくて、私にとってものすごく尊いもの。



だから、私から人にプレゼントを贈る時も、ものすごく考える。今あの子はどういうものが欲しいだろう...とか時間をかけてぐるぐる思考を巡らせる。相手の「嬉し恥ずかし」の表情を想像する作業こそ、相手はきっと嬉しいはずだから。

相手に大きな矢印を向けて、考えれば考えるほど、プレゼントを贈るこちら側もなぜか幸せな気持ちになれる。受け取る時とは違う種類の、満足感と幸福感に満たされる。



昔アルバイトで、プレゼントの包装をしていた。包装紙を丁寧に巻いて、綺麗にリボンをかける。

辞めてから何年も経つけれど、未だにこの作業がめちゃくちゃ好き。

誰かが、誰かに贈るプレゼント。
相手のことを考えて、相手のために選んで買ったプレゼント。

最後の最後、この尊いものを、丁寧に飾りつける作業が好き。

綺麗にできるようになれてよかった。手放したくない、貴重なスキルを身につけた。

人生であと何回プレゼントを贈り、贈られるのだろうか。

たくさんだったらいいな。
たくさん、大事なプレゼントが増えたらいいな。

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