眠る妖精〔メイさんへ。感謝を込めて〕

         


人間には重苦しく見える冬の雲は、俺にはひたすら美しく見える。
秋とやらが終わると、俺の日々が始まる。
吹雪く。
吹雪く。
人間は逃げ惑うか、家とやらに籠もる。
街は純白に閉ざされる。
死に絶えて凍り付くのが望みだが、人間はしぶとくて、なかなか絶滅しない。

俺の傍らにはすきとおる精霊。
まだ目覚めの時ではない。
丸くなって、眠っている。
起きたら話し相手になってくれるだろうか。

十分な冷たさが、雪おおかみをつくりだす。
走り出すかれらは、一人歩きの人間を狩る。
その喉笛に噛みついて、命を吸い取る。

はるか昔、
俺も一匹の雪おおかみだった。
氷床と化した原野で、幼いこどもを狩ろうとしていた。
俺の美しい、冷たい牙が、いままさにこどもの喉笛を噛み裂こうとしたその瞬間、その鋭い声は飛んだのだ。


だめ!
そのこはだめ!!


そのこ、
リョーシャは母さんが一番愛して育ててるこなの。
殺さないで。


声の主はこどもと俺の間に立ち、大きく両手を広げた。


だからどうしても殺すのなら、
私にして。
母さんは私はいらないの。
だから私を。


せがまれたのだからしょうがない。
俺は新しく現れた、
少し年かさの女のこどもの喉頸を、


裂いた。



吹き荒れる雪、風。
氷床はどこまでも形成され、続いてゆく。
人里など、消えてしまえ。
人影など不要だ。
純白の景観こそが美しく、俺の心を和ませる。
何ものにも揺さぶられたくはない……



生き残らせたこどもは、すくすくと大きくなっていった。
溺愛する老母を足蹴にし、水くみすらしようとしなかった。
老母の数倍も、力、強く、美丈夫なのに、男は働こうとせず、ただ母親が見つけたり、育てたりするわずかな食料を、居座って奪って暮らすばかり。
娘が守った命は、こんなにも、程度の悪い至らないものだったが、老母は息子のするがまま、苦言一つ言うではなかった。
老母は自ら水を運び、食料をあさり、子に供し、供し続けて死んでいった。
母任せだった息子はみるみる衰弱し、二十日ほどで逝ってしまった。
姉娘~だろう。誰もそうだとは言わなかったが。~が命を賭して守ったものは、あまりにもあっけなく去って、何一つ残すでなかった。


そのとき、俺に何かが起こった。
姉娘の血で贖われた部分が俺から抜け出していき、それ以外の俺が変化して、今の俺になった。
人間のような体型と、氷の心。
氷の瞳。
俺は人型の王となったのだ。
抜け出した部分は渦を巻き、次第にこれも人の形となった。
人ではない。
背(せな)に薄い、小さな、一対の羽がある。
さながら妖精。
あの娘に、面差しが似ている。
だが人ではない。
妖精だ。



いつか妖精は目覚める。
俺が王でいる間だといい。
あの娘として目覚めるのか、
過去のない、
無垢な妖精として目覚めるのか、
それすらも俺にはわからない。
あの娘として目覚めたら、
できるだけ大事にしてやろう。
妖精として目覚めたら、
全く新しい生活を。
だから目を開け。
妖精よ。
俺はもう、待ち焦がれ疲れたのだ。


夜が明ける。


妖精の、まぶたが震える。



美しい瞳が開



                完 


それでも地球は回っている