兄が残したもの


数年ぶりに実家に戻った。年始に体調を崩し、緊急入院した母の容態は、退院したものの以前通りとはいかないらしく、いろいろ家の物を整理しにきてほしいと頼まれていた。

帰ってぱっと兄の遺影が目に入る。黒い学生服を着た、まだまだ若い青年がそこにはいた。高校時代英語が好きだった兄は、ESSという英語でコミュニケーション活動をするという部活に在籍しており、その時のメンバーと外国人の先生と共に、笑顔で写っているスナップ写真も飾られていた。

英語の先生になりたいと言っていたくらいだから、そのまま生きていれば、海外へ行ったり、語学を扱う仕事に就ていたのかもしれない。その写真を見るだけで、一人の青年の未来への可能性がすぐに想像できた。

なんでも小さな頃から、コツコツと丁寧にやり遂げることが得意で、何千ピースもある細かいジグソーパズルを何週間もかけて一人で完成させたり、勉強をしてる時の集中力も凄まじく、特に難解な数式を解いてるとき、兄はよく舌を出して無我夢中で鉛筆を走らせていた。その姿を見た時に、「この人は天才なんだな」とふと思った記憶がある。

そういうわけで、兄は勉強がよくできた。頭が良いのは幼少期からのようで、父方の祖父は兄をたいそう可愛がっていた。妹のわたしは勉強もろくにできないし、得意なものは文章を書くことと、絵を描くことくらいだった。

兄に勝る才能は、芸術的なことくらいしかなかったのである。ある時、兄と絵の描き合いをした。どう見てもわたしの方が上手く絵を描けているのに、母は「どっちも上手だよ」と言った。それにどうも納得がいかず、「どう見たってわたしの方が上手じゃない!」と幼いながらに抗議するのだが、母は最後まで首を縦には振らなかった。

兄はそんなことも気にせずマイペースに絵を描いていたし、わたしは煮え切らない想いを悶々とさせながら、自分の描いた絵を睨んでいた。


またある時、祖父と兄と本屋に行った際、当時流行っていた漫画『ドラゴンボール』が好きだった兄は、「この漫画がほしい」と祖父に言った。たぶん一冊ほしいという意味だったと思うのだが、祖父は顔をゆるませて店員を呼び、「全巻買う」と言い放った。30〜40巻はあったんじゃないだろうか。わたしは何も買ってもらえず、浮かれた祖父の横顔をただ睨むしかなかった。

その数年後の兄の葬式で、ただ呆然と、抜け殻のようになって宙を見つめていた祖父の横顔を、睨みはしなかったが、ただじっと見つめた。


兄の闘病生活で母もほぼ付きっきりになり、たくさんの我慢を強いられることになった妹のわたしは、強く兄に当たることも多かった。気の優しい兄は怒ることなく受け止め、妹のわがままになんでも答えようとした。

ただ一度、兄が本気で怒ったことがある。二人でボードゲームをしていた時のことだ。兄が何度も勝てずにいたので、執拗にからかいはじめ、最初は黙っていたが、度を越したのだ。

口が立たない兄は、カッとなり、持っていた鉛筆をわたしの手に向かって振りかざした。右手小指に軽くささって、わたしは瞬時に手を引き、しまった、と思った。兄は顔を真っ赤にして本気で怒っていた。いつも朗らかににこにこと笑っている兄が怒った姿を見たのは、後にも先にもこの出来事一度きりである。

兄の体はもうこの世に存在しないが、唯一生きていた証をわたしの体に残していた。

あの時、振りかざした鉛筆の「鉛」の小さな点が、右手小指の皮膚の中にうっすらと埋め込まれていたのだ。それに気づいたのは、もう大分大人になってからである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?