珈琲を淹れるのが好きなんだ。


コーヒーを淹れるのが好きだ。

コーヒーは好きじゃない。
なのに、コーヒーを淹れるのは好きなのだ。


20代後半、スタバでさえも、コーヒーを注文したことがなかったのに、急に自分で淹れてみたくなり、一式揃えた。

豆も、京都で有名な焙煎所の豆を仕入れて。
ケニアもインドもブラジルも深煎りも朝煎りもようわからず。

ミルでガリガリと豆を挽くと、部屋中に豆の香りが広がって、それだけで心地いい。
しかし淹れたてを飲んでもちっともおいしくない。

やはりコーヒーが好きじゃないのだ。


数年後コーヒー好きの夫と結婚し、彼は毎朝のように自分でドリップする。

「どんな豆でも淹れ方でうまくなる。高い豆を淹れたら誰が淹れてもおいしくなるやろ。でも安いそのへんの豆でも淹れ方が上手やったらうまいのや」と、熱弁する。

コーヒー好きの友人をほかにも知ってるが、それぞれの趣味嗜好やこだわり、コーヒーに対する自論を激しく持っているので、聞いてると正直めんどうくさい。
がたがた言うてんと、飲めや、と思う。

今でも時々自分で淹れるが、やはり、さっぱり上手さがわからない。
自分の淹れたコーヒーがうまいのかどうかも。


先日ママ友に自分で淹れて出したら、
「自分、コーヒー淹れるのうまいな」と言われた。

そうか、それなりにおいしいのか、と人の意見で確認するが、自分で飲むと、やはりわからない。

だったらわざわざ淹れて飲むなや、と言われそうだが、淹れるのが好きなのだから仕様がない。

コーヒーを淹れる時間。
豆の様子をうかがって、待って、ゆっくり行う所作。お湯を注ぐ音。立ち込める香り。
すべてが心地いい。


また別のママ友の家にお邪魔したとき、彼女はゆっくり時間をかけてコーヒーを淹れていた。

「あかん、納得いかん!もう一回淹れなおすわ」と、真剣な表情。
コーヒーに対するこだわりが彼女をより凛々しくさせた。
そういうこだわりは好きや、としげしげとコーヒーを淹れる後ろ姿を見つめて待っていると、

満面の笑みで彼女は「完璧に」淹れたコーヒーに、どぼどぼと牛乳を投入させた。しかも温めず冷えた牛乳!


まじか、と思った。


「良かったら使ってや」と、どんと威勢よく、テーブルに牛乳パックが置かれた。
あのこだわりはなんだったのか。
わたしの頭の中に鳥が飛んで行った。

そうか、彼女もコーヒーを淹れる所作が好きなのかもしれない。
そう思うことにしよう。


2017.4.13『もそっと笑う女』より

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