見出し画像

どう、ありたいんだろう・・・・

常に頭に留まり続けていること。

私ってどうしていきたいんだろう・・・・
私って何を目指したいんだろう・・・・
これから具体的にどう計画して生活していこうか・・・・

それは不安と隣り合わせの毎日。知らず知らずの内に肩に力が入ってしまっている。気づけば体が硬直し、食べる行為がしんどいなぁと感じる。もしかしたら見えない内臓まで影響が及んでいるのではないかと思う。

そもそも、私はなぜそんなことばかりを考えているのだろう。

来年子どもが小学生に上がるタイミング、というのもあるんだろう。当たり前だけど歳を取って、段々と老いの世界へと足を取られていく現実がすぐそこまで来ている。焦っている。屈折しながら生きてきた私。


過去の私がもう少し勇気を出せばキラキラした世界で苦しむこともなく生きてこられたかもしれない。もしくは、自分で切り開いて苦しみを糧にし、堂々と胸を張った人生を歩めたかもしれない。

そもそも自分を生きるってどういうことなんだろうね。

小さい頃苦労してきた人は、将来幸せになれる。ということを、ハッピーエンドの物語をたくさん読んで刷り込まれてきた。こんな苦しい思いをした自分だから、大人になったらさぞ幸せになれるに違いない、自分を苦しめてきた人たちを見返せるだけの力がついてくるに違いないと思い込んでいたように思う。

大人になった私が今思うこと。
子どもの時に思い描いていた未来ではないかも。ということは断言できる。
そして。

1+1=2みたいに、何かしらの肩書きを持って生きなければいけないんだと思っていたことに気づいた。

何かの申し込み用紙に職業欄を書くスペースがあるけれど、堂々と私はコレですよって言えない自分がそこにいた。

社会の中の私って価値あるの?

それが、冒頭で書いた、私ってどうしていきたいんだろう・・に繋がってくるわけで。それが毎日延々とループされる。そこから逃れたいのに。

今は隙間時間に、読書をしたり、編み物をしたり、noteに文章を書き綴ったりしているけれど、その行為一つ一つが、それを考えることから逃げるための手段と方法だと思っている。

数ヶ月前からエブリスタに小説を投稿するようになった。これが結構楽しい。いずれは長編作品も書きたいし、脚本を書いてみたいなと思うようになってきた。今は主婦をしながら作家デビューした人の話も聞くし、いずれは本腰を入れて取り組めたらと思っている。

一方で、楽しいんだけど、家族にどう思われているのかが怖くて、コソコソ取り組んでいる私。うちの夫はそんなこと思わないし言わないんだけど、勝手に心の中で「お前がやっても出来っこない」って言われるだろうという半分被害妄想的なことが付き纏っているんだろうと思う。きっと、これでやっていくという強い覚悟を持ってやれるのか?と常に心に問いかけているからなんだと思うけど、それはまだ分からない。

けれど書き続けているのはこの年齢になってもなお、人に認められたいと常に願っているからこそ。人間の承認欲求はいつまでも枯れることはない。私は承認欲求を満たしたくてやっているのかと思うと、なんだか寂しい気持ちになるけれど。

両手にはやりたいことがたくさんある。私はそれを抱えてどこに向かっていきたいんだろう・・・。

とりあえず本を読みながら、今書いている作品を仕上げたいな。次の作品のことも考えたいし。

いつかこの悶々とした気持ちも創作のタネになればいいかな。

あと数ヶ月で30の後半に差し掛かろうとする私、これからも「どうありたいか」を探す旅は続きます。

この記事が参加している募集

振り返りnote

よろしければサポートを頂けると幸いです。 頂いたサポートは、自分や家族が幸せになれることやものに使わせていただきます。