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【掌握小説】#眠れない夜に

※これを書いている今はまさに夜。
日付が変わる前に布団に潜り込みたいところ。


読みかけの小説がある。

主人公は女性で、年齢は40に手が届くところ。仕事は順調。結婚からはほど遠いけれど、会社の健康診断ではオールAで健康そのもの。貯金だってそこそこある。
毎週金曜日の夜は気の置けない友人と集まり、流行りのお店でたわいもない会話を楽しむ。

そんな彼女に最大の試練が訪れる。

というお話だ。

一昔前のワードで表すなら「リア充」ってやつ。
私はこの主人公と思いっきり正反対の立ち位置にいる。

さっきからずーっと私は、彼女との違いについて考えを巡らせていた。

だからなかなか、続きをめくれずにいる。

そんな私は、

年齢はほぼ一緒だけど結婚をしていて、子どもは今年小学生に上がった。
仕事は、週3日ほどスーパーでパートをしている。とてもじゃないが夫の稼ぎだけではやっていけない。
今のところ体は元気だけど、最近仕事中に腰を痛めてしまった。
昨日は急遽休みを取っていた同僚が代わりに出勤してくれたから助かったけれど、また恩着せがましいことをあれやこれやと言ってくるだろう。それを最後まで聞かないとご機嫌斜めになる彼女とのやり取りを想像するだけで、胸の中が灰色の空気でいっぱいになる。

最近息子はゲーム配信動画に夢中だ。クラスでもその話題が友だちの間でもちきりなのだという。
先ほどまで齧り付いてそれを見ていたが、時計の針が幾つになったらおしまいね、という約束をさせた。が、時間が来ても止めようとしないのでちょっと強めに声を掛けたら、ようやくリモコンの電源ボタンを押し、歯磨きをしに洗面台へ向かった。

時折、寝息が聞こえてくる。
明日から親子共々、長い夏休みが始まる。明日から早速、学童に行く息子のお弁当を作らねばならない。

夫は今日飲み会で遅くなるのだと言う。
ここ最近は流行病の影響で会社の集まりは一切催されなくなり、帰りが早くなった。そのおかげで、夜は息子を夫に任せて自分の時間を持てるようになった。
よかったー、もう飲み会なんて一生無くてもいいよー。なんて、心から叫びたくなるほど嬉しかったのに。
夫が早く帰ってくるのは嬉しいし、安心する。でもその分、夫ともそれなりに会話せざるを得なくなる。

夫と二人っきりになると、冷蔵庫のモーター音がやけに響く。
二人の顔はそれぞれのスマホに向けられている。

「今日、なんかあった?」
「別に」

会話はそれだけ。
結婚して8年。ついこの間結婚記念日を迎えたが、私の方が忘れていた。
新婚時代が幻のように思えてくる。

たまらなくテレビをつける。
変わり映えのしないタレントやお笑い芸人が、似たようなテーマでくっちゃべっているだけ。
でも、笑ってしまう。
夫も最初は一緒に笑って見ているけど、しばらくすると舟を漕いでいる。

夫の体を揺すり、半分起きた夫はのっそりと寝床に行き、すでに夢の中にいる息子の隣に寝転ぶとものの数秒でいびきが聞こえてくる。

そんな様子を見てたまらなくなった私は、リビングの灯りを消し、寝室の明かりを付けて本を持ち込む。

続きがめくれずにいた、あの本を。

「リア充」だと思い込んでいた主人公。

でも、読み進めていくと周りから決して見えない彼女だけが抱える苦悩が解き明かされていく。

分からなくなった。

さっきまで羨ましいと思っていた彼女への羨望が、ガラガラと崩れた。

さっきまでめくれずにいたのに、脳が次、次と続きを要求してくるから、めくる手が止まらない。

夜が更けていくのを忘れて読んだ。
いつの間にか、外は明るくなっていた。

私はガラス戸を開けて、ベランダに立つ。

目を瞑り、思いっきり深呼吸をした。

あれだけ体に悪い行為をしたというのに、気分は清々しい。

それはきっと主人公の姿に、自分との共通点が見出せたからだと思う。

本の中の世界は、フィクションであって、フィクションではない。

誰しもが抱えている色んなひとかけらを一つもこぼさないようにしながら、丹念に掬い取って見せてくれる、その人の言葉や一節に。

私は、心強い応援団を得た思いでいる。

眠れない夜に、まるで救いを求めるかのように貪ったその本は、

朝の柔らかな日差しを真っ直ぐに受け、

しわくちゃなシーツの片隅に投げ出されていた。

(終)
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