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毒親から逃げられない話 小学校編⑤

生理前の便秘のせいで切れ痔だと訴えても運動不足でしょうとしか言われず、どうしようもなかったからボラギノール買ってきた。
意外と高いんやね。

さて、今回は親がどう私に接していたかを書こうと思う。
割と短め。

私のnoteを初めて読む方は初回↓をまず読んできてください。

https://note.com/amiko_m/n/naad06cba63b8

(前回)

https://note.com/amiko_m/n/n7551fc5371af

⑴ サンタさん

皆さんはサンタをいつまで信じていただろうか。
私は最初は信じていたものの、早い段階で正体に気がついていた。

私がサンタさんによく頼んでいたのは、猫のロボットやDSだった。
一人で親の抑圧に耐えるのは苦しく、話し相手になるような兄弟が欲しかったが、叶うのぞみではない。
せめてペットをと思っていたがペットを飼わない方針の家だったため、最大の譲歩をして猫のロボットである。
ぬいぐるみ型でもふもふのロボットの広告がよく新聞に掲載されており(当時私は活字中毒だったため新聞を隅から隅まで読んでいた)、本物は無理でもこういう子が欲しいと願っていた。

DSが欲しい理由は説明するまでもないだろう。
友人グループの中でゲーム機を持っていないのは私だけだったからだ。

しかし、我が家のサンタさんが持ってくるものは、とても私のことを考えているとは思えないものだった。
例えば、ガラス製のスキーをするスノーマンの置物。
例えば、一目で高級なものとわかるオルゴール。
例えば、マリア様とイエス様の絵が書かれたベル。
キレイめ女子な彼女にプレゼントするならまだしも、小学生に渡すものではない。
(スノーマンの置物、今調べたらバで始まる超有名なあのブランドのじゃん。どこに行ったんだあれ)

こんなことをするのは、あの人しかいなかった。
お金を注ぎ込んでくれるのはありがたいけれど、やり方がどうなのかは微妙な線である。

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⑵ 旅行

お金を注ぎ込んでくれることでの利点は海外旅行ができたことであった。
親戚がフランス人と結婚したこともあって、ヨーロッパを中心に数カ国を訪れたことがある。
中でも悪い意味で印象に残っているのは、スウェーデンだった。

スウェーデンは、アストリッド・リンドグレーンの国であり、リンドグレーンワールドというテーマパークがあった。
テーマパークといっても観覧車やジェットコースターがあるわけではなく、例えば『長くつ下のピッピ』に出てくるピッピの家が再現され、そこでは毎日キャストによるショーが行われている、という塩梅だ。
主要な作品の世界がそこでは展開されていて、作品の登場人物たちが動いているのだ。
(大好きな『はるかな国の兄弟』の兄ヨナタン役のキャストがめっちゃイケメンだった)

そこへはもちろん家族3人で足を踏み入れたのだが、あまり楽しかった記憶がない。
私の親は私と遊んで一緒に楽しむタイプではなく、遠巻きに私を眺めているタイプの親だったからだ。
どんな場所で遊ぼうとも、一人で遊ぶのは楽しいものではない。
周りのスウェーデンっ子が楽しそうにしている中、私はひとりぼっちだった。

リンドグレーンワールドには顔出しパネルが置いてあった。
親は写真を撮るため、私に顔を出すように促したが、一人用のパネルなんて置いてはいない。
3人用のパネルで撮るためにそこらへんにいた男の子と女の子に協力してもらい、パネルを完成させたのがなぜか強く記憶に残っている。

今でもリンドグレーンは大好きなので、リンドグレーンワールドにはもう一度行ってみたい。
その時には、リンドグレーンが好きな友人と一緒に行き、あの時の分まで存分に楽しむのだ。
(まずリンドグレーン好きな友人を見つけるところから始めなくてはならない)


⑶ 自分の部屋

私には自分の部屋がない。
マンションの一室に住んでいるのだが、部屋数が足りていないのだ。

キッチン、ダイニングと繋がった、本来はリビングであろう場所に机を置いている。
キッチンとダイニングからは私の姿は丸見えであり、母に叱られた時の逃げ場が全くない状態なのだ。

この部屋を購入した時には私はすでに生まれていたため、少しは子ども部屋について考えたらしい。
一番北側の部屋が子ども部屋になるはずだったらしいが、物心ついた時には両親の荷物置き場と化していた。
クローゼットは半分ずつ両親が使い、壁面の本棚も両親の本でいっぱい。
机にも仕事道具が山積みである。
唯一子ども部屋を意識した痕跡がうかがえるのは照明で、可愛らしいレースのついた傘が被さっている。

北側の部屋に移るかと聞かれたこともあったが、そんな状態では私の荷物を置くことすら叶わない。
朝晩の身支度を両親はそこでするのだろうと考えると、完全なる自分の場所にもならない。
そんな部屋であった。


自分の部屋がないことの辛い点は三つあった。

一つ目はプライバシーが全くないことである。
常に親の気配を感じなければいけないほか、持ち物チェックが簡単に行われてしまうのだ。
大学生になってからもよくあったが、例えばカバンの中身を調べたり、財布のレシートをチェックしたりということを、私が離席している間にやってのけてしまう。
そういうのはどうかと思うと言ってみても、「家族に隠し事をするなんておかしい」「そういうふうに言うのはやましいことがあるからなんじゃないの」と返されてしまい、受け入れるしかない。
自分の部屋があれば、多少は阻止できるだろう。

また、泣きたい時も大変である。
怒鳴られて震えながら泣くことが多かったが、心を落ち着けて安心できる場所がなかった。
一人きりで泣きたい時にはトイレに篭るよりほかない。

二つ目は整理整頓が難しいことである。
ここには机があるだけで、棚がない。
使わなくなった赤ちゃん用の椅子やワゴンを駆使して棚を作っている。
当然見栄えは悪くなり、整理整頓されていないと不機嫌になる母は気に食わないらしい。
でも物理的に無理な話である。
棚を買おうと話し合ってから、もう10年くらいになる。
スノーマンを買うよりも重要なことのはずだ。

三つ目は勉強への集中力が削がれることだ。
私の背後5mほど後ろには食事をするためのテーブルがあり、普段両親はそこで過ごしている。
私が勉強している時もそうなのである。

勉強している時、ふと視線を感じることがあった。
振り返ると、母がじっとこちらを見つめている。
仕方なく「どうしたの」と聞くと「何しているのかなと思って」と言う。
何しているも何も、勉強である。
続きを始めようとすると決まって、私の方へ近づき緊急性のないことを話しかけてくるのだった。

前にも言ったが、私の両親は教師である。
途切れた集中の復活が難しいことくらいわかっていてもおかしくはないのに、なぜそんなことをするのか甚だ疑問である。
そもそも黙って無表情で見つめてくるのは気持ち悪い。
友人たちの家の遊びに行くたび、自分の部屋があるのが羨ましかった。


あと3回くらいで小学校編が終わると思う。
もしかしたら中高編よりも長かったりして笑

小学校編⑥↓


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