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毒親から逃げられない話 小学校編⑥

滅多にそんなことないのに生理周期がずれて不安感が募ってる。嫌だなあ。

初回↓(初めましての方はこちらからどうぞ)

https://note.com/amiko_m/n/naad06cba63b8


前回↓

https://note.com/amiko_m/n/n73ae0aebfda6


⑴ 文房具

小学生女子の持つ文房具といえば、キラキラのラメが入ったペンや匂いつきの消しゴム、鉛筆までもが可愛らしいキャラクターで彩られている。
お小遣いがもらえなかったことに対する不満を書き綴った回でも触れたが、これらの文房具は私の憧れだった。

私が母に買い与えられていた文房具といえば、とても地味なものだった。

筆箱は一年生の時に購入した赤い革製の箱型。
鉛筆はuniの茶色いもので名前まで刻印されている。
消しゴムもMONO消しゴムのみ。
下敷きは赤い透明なあれ。
ペンもごく普通のノック式ボールペン。

キャラクターグッズなど学校には必要ないという考えのもと、とにかく楽しさというものがない文房具たちだった。
確かに実用的ではある。
uniの鉛筆もMONOケシも最高の品質だ。
けれども、心踊らない道具に囲まれていても沈むばかりであるし、嫌だと思うとものを大切にできなくなってしまう。
現に筆箱は壊せば新しいのを買ってもらえると思ったのか、故意につけた傷でボロボロである。

キャラクターのついたものが許されないのは、ひとえに母の趣味だ。
近年わかったことだが、サンリオやお茶犬なども含めた二次元の絵を毛嫌いし、家の中にあるのを見るだけでも嫌だそうだ
けれども私は、友人たちの持ち物に描かれているキャラクターが好きで、自分の持ち物が嫌だった。

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⑵ 選択権のなさ

画材セット、裁縫セット、書道セット……学年が上がると学習内容に合わせて購入するものが出てくる。
その度に学校からチラシが配られ、好きなものを選んで買うシステムがあった。
しかし母は「こんなものはダメよ」と言い、一度もその中から選ぶことはできなかった。

大抵そういうイベントの際には学校側から用意するように言われるリストがある。
配られるチラシの商品は、それらを網羅したものである。
にも関わらず母は自分で店に行って買うのをモットーとした。

考えられる理由は三つある。

一つ目はいいものを持たせようとしてくれたということ。
例のごとく高価で良いものであることは見た目にも明らかであったし、裁縫セットは今でも使うことのできるものばかりだ。

二つ目はファンシーなものが家に入ってくるのを防ぐため。
前述した通り、母はキャラクターものや可愛い柄の入ったものが大嫌いなため、避けたかったのだろうか。

三つ目は中国製嫌いのため。
母はとことん中国製を嫌がる。
どんなに良いと思ったデザインの服も、タグにMade in Chinaの文字があるとすぐに無かったことにする。
水筒やカバン、家電製品などについても同じであって、母のこだわりのせいで必要なものも買えなかったりする。
学校が紹介するものは安いもの、つまり中国製が多いから嫌がったのだろうか。
(ちなみに母は大学時代に中国語を習いに教室に通っていたくらいなので中国嫌いなわけではなさそう)

そんなこんなで私の身の回りのものはとことん地味だった。

画材セットは家にあったものの寄せ集め、裁縫セットは小さなクッキー缶にぎゅうぎゅうに押し込まれ、書道セットは本来は文箱として使うであろう漆塗りの紙箱に入っていた。
みんなはカラフルなカバン付きの道具セット、私は身の丈に合わない道具セット。
学年が変わるごとに、「なぜあみ子のはそういうのなの?」と周囲から聞かれるのが苦痛だった。
いつも肩身が狭かったし、うまく作ることができない時には、ついつい道具のせいにしてしまっていた。

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⑶ 学校行事

私は学校行事に楽しんで参加する方だった。
そもそも学校自体が大好きだったし、非日常を楽しむという意味でも行事は好きだった。

特に心待ちにしていたのは修学旅行だった。
説明するまでもないが、親から離れ数日間友人たちだけと過ごすのは、貴重な時間だった。

一方で嫌いだったのは「二分の一成人式」である。
今もこの悪しき習慣は続いているのだろうか。
10歳を節目として、保護者に対して今まで育ててもらったことを感謝するイベントだ。

お金を稼いでくれているから生活ができるのは重々承知の上で、感謝などできなかった。
そもそも育ててくれていたの祖母であったし。
毎日のように怒鳴る母に対して、うわべだけでも「ありがとう」と言うのは苦痛だった。

小学生の私は母に対して感謝の気持ちを持つことができず、誕生日や母の日などで渡す手紙を書くのも一苦労だった。
いつも「お仕事がんばってくれてありがとう」といったようなことを書いていたと思う。
それくらいしかひねり出せなかったのだ。

二分の一成人式は死ぬほどやりたくなかったが、前に書いた通りの理由で先生に状況を訴えてどうにかしてもらうこともできなかった。
他の子は楽しそうに準備をし、本番も涙ながらに感謝を述べていて、私はみんなとは違うのだと言うことをまざまざと見せつけられた。


他の子たちと私は違う。私は異質な存在。みんなとは分かり合えないのだと常に感じさせられていたエピソードでした。
次回は友人関係について語ります。
(道具セットの写真撮り忘れたから後日追加します)

小学校編⑦ 所属していたグループについて↓



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