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【掌編小説】みんな

「さあ、行こう」
 Kは前を向きながら、隣で一緒にベンチに座っているUに向かってそう言葉を発した。Uはずっと怪訝な顔をしてうつむいている。
「……嫌よ」
「……」
 沈黙が二人の間に流れた。Kは焦りもせず、凛々しい顔をしている。Uは相変わらず、怪訝な顔をしている。
「……ばさっ!」
 KとUの前で闊歩していた鳩が飛び立った。Kは鳩が飛び去る方へ目線を追いかけた。Uは表情ひとつ変えずにうつむいたままでいる。
 空は雲ひとつなく、瑞々しいほどの青さをしている。その青々とした空の中に飛び込むように鳩は飛び去って行った。
「……きっと君は考えすぎなんだ。怖くない。みんなが待っている」
「みんな?」
「そう、みんなさ」
 Uは少し驚いたような表情でKの方を見た。Kは鳩が飛び去っていくのをずっと目で追いかけていた。鳩はもう青空の中に消えてしまっていた。
「……わたしは今のままでいいと思っているの。今のままで」
 Uは顔をまた前に戻し、うつむき、確かめるようにそう言葉を発した。
「今のままじゃ駄目さ……君は直につらくなる。それに、みんなが待っているんだ、大丈夫だよ」
「みんな?」
「そう、みんなさ」
「……」
 Uの目線の先には、蟻たちが行列に並んでいる。しかし、Uはそのことには気づかず、目は開いているのに何も見ていない。
 蟻たちの行列の先には昆虫の死骸がある。蟻たちはその死骸の一部分をせっせと運んでいる。蟻たちの巣はちょうどUの足元で隠れてしまっているらしい。蟻たちが巣に帰れず慌てている。
「……君が今いる場所よりもずっといいところさ」
「どうしてそう言い切れるの?」
「みんな君を待っているからさ」
「わたしを待ってる?」
「ああ」
「どうして?」
「みんな君を必要としているからさ」
「どうして?」
「……行けば分かる」
「……」
 蟻たちは帰る場所が無くてさまよっている。もう昆虫の死骸に群がる蟻は一匹もいない。
 またUはうつむくと、蟻たちの存在に気付いた。慌てふためいている蟻たちを、Uは一匹残らず踏みつぶした。
「……さあ、行こう」
 今度はUの方を向き、朗らかにKはそう言った。Uはうつむいていたので、Kがこちらを向いていることに気付かなかった。
「大丈夫。ぼくがいるから」
 Kはそう言って、Uの肩に手を乗せた。UはKの方に顔を向けた。Kが噓みたいな笑顔でUの方を見つめていた。
「……わかったわ」
「はぁ、よかった……それなら早く行こう」
「でもとりあえず行くだけよ。そこにずっと居るかはまだわからないわ」
「……わかったよ……ほら」
 Kはすっと立ち、Uに手を差し出した。Uは三秒程、その差し出されたKの手をじっと見て、それからその手を取り、立ち上がった。
 太陽がちょうど真南に昇っていた。


 二人は畦道を、並んでひたすら歩いていた。Kはずっとどこか跳ねるようにして歩いていた。Uは背中を丸めて、また、怪訝な顔をして歩いている。
「……みんないいやつなんだ」
「みんな?」
「そう、みんなさ」
「あなたもそのみんなの一人?」
「そうさ、当たり前だろ」
 KはUの顔を覗きこみ、笑いかけた。UはKからの目線を逸らした。Kは残念そうな顔をして前を向き、またスキップするかのように歩いた。
「……どうしてわたしをそんなにそこに行かせようとするの?」
「君があそこにいて窮屈そうに見えたんだ」
「そんなことないわ」
「君は気付いてないだけさ」
「……そこに行けばわたしは窮屈でなくなるっていうの?」
「そうさ。だって、みんなが絶対歓迎してくれる」
「みんな?」
「そう、みんなさ。現に僕はもう君をそこに向かい入れるのが楽しみで仕方ないんだ」
「……そう」
 Uのその言葉には、さっきからの言葉より少しあたたかさが含まれていた。そのことに気付いたKは嬉しくなり、急にダッシュをし、そして少ししたら止まって振り返り、Uに大きく手を振った。Uは頬が少し赤らみ、Kに追いつくために少し速度を上げて歩いた。Kは満面の笑みでUが追いつくのを待っていた。UがKに追いつくと、また二人並んで歩き出した。
「……その、みんな…はわたしが来ることを知っているの?」
「昨日、君のことをみんなに伝えたんだ。みんな絶対君はここに来るべきだって言ってたよ」
「その、みんな…にはわたしのことをどう伝えたの?」
「どうって……それは言えないよ」
「どうして?」
「……」
 Kは難しそうな顔をして黙り込んでしまった。UはそんなKを見て、また怪訝な顔をしてうつむいた。


 二人はひたすら畦道を歩いた。空には雲が翳り出していた。
 ちょうど太陽が雲に隠れて陰であたりが暗くなった。そのとき
「着いたよ」
 Kは目の前を指差してそう呟いた。UはKが指差した方を見た。Uは顔面蒼白になり、膝から崩れ落ちた。

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