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ご飯は炊き立てがおいしい

炊飯器が壊れたのは、昨年の冬だっただろうか。

いきなり、ふたが閉まらなくなった。

お米を研いでしまったし、どうしよう、と思い、「そうだ、土鍋で炊いてみよう!」という案が浮かんだ。

昨年かおととし、母が「炊飯器のスイッチが入らなくなった」というので、大きな土鍋で炊いたことがあるのだが、勘で炊いたので、底の部分が相当焦げて、イマイチだった。

また、焦げを落とそうとして、鍋を水につけっぱなしにしたため、火にかけたら、底がひび割れてしまった。

途中で何かあると困るので、普段お鍋をする時に使っている1人用鍋で炊くことにした。

わたしは最近(発芽)玄米をメインに食べていて、母は白米を食べるため、1人用鍋は都合が良い。

(炊飯器の時は、1合ずつ入れて2合で炊いていたので、白米も食べなくてはいけなかった。)

失敗したらどうしよう、とドキドキしたが、白ご飯.comを参考にしたら、意外と簡単だったので、いまだに炊飯器は買っていない。

ずっと、はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣くまでふたとるな、と思っていたのだが、実際の炊き方はかなり違う。

何回も何回もふたを開けて、チェックしてしまっている。

炊く時間も火力に合わせて、微妙に調整した。

白米のほうが水が少ないので、炊き上がり時間が短い(約8分)

米は、大きな土鍋にひびをいれてしまったことの教訓から、炊く直前まで、ボウルに入れておくか、炊飯釜に入れておくようにしている。

炊飯釜は、白米や玄米の水加減をチェックするのに便利なので、捨てられずにいる。


ご飯の炊き方を失敗することはほぼないが、2つの鍋を同時に使ったら、白米のほうだけ芯が残ったことがあった。

なぜだろうと考えたところ、五徳が小さいため、ちょっとしたことで傾くので、ご飯に芯が残っていたようだ。

それからは小さい五徳は使わず、安定感のある五徳だけを使って順番に炊くようになった。

芯が残っていた時は、炊飯器を買い直そうといわれたが、その後失敗しなくなったので、言われなくなった。

炊いてすぐに食べない分は、タッパーに入れて冷凍庫へ。

次回食べるときに、電子レンジでチンする。

ちなみに、電子レンジが壊れていた時は、冷凍ご飯はなべに落し蓋を敷き、蒸していた。

身体にはそのほうが良いのだが、最近はめんどくさい&時間短縮でやってない。

電子レンジを買い直したのは、わたしが入院することになり、母1人で火を使うのは危ないと思ったからだった。

しかし、電子レンジの使い方を何回教えても覚えてくれない。

(ちょっと認知症気味なところがあるのも、関係しているだろう。)

電子レンジや炊飯器は便利ではあるが、自分の火加減調整が左右する土鍋炊きや蒸し器を使った調理などは、ちょっとアナログで、最初のうちは「自分にもできた!」という達成感があった。

50代前半だが、こういう初めてのことってワクワクする。

話はズレるが、パリの地下鉄の手動ドアをちょうどいいタイミングで開けた時に感じる、何かうれしい感じ、その気分と共通している。

20年位前、ゴスペルの教室で一緒に習っていた方に、「炊飯器が壊れて鍋で炊いてるけど、炊飯器なくても意外と大丈夫」と聞いていたが、あの時は話半分だった。

しかし、時間によっぽど余裕がない時はレトルトご飯を食べたりするけれど、意外とやってみると楽しいし、炊飯器並みかそれ以上の味なので、土鍋炊きは今後も続ける予定だ。

電化製品はなくてはいけないと思い込んでいたが、意外となくても何とかなるものが多く、使わないほうが生活が豊かなような感じもしている。

そういえば、昔運転免許を持っていた時、4年ほどマニュアル車に乗っていたが、エンストする可能性はあったが、オートマより運転が楽しかった(運転はあまりうまくなかったけれど)。

自転車はかれこれ40年近く乗っているが、自転車が楽しいのも、自分で乗り方を工夫できるからなのだと思う。

「便利」と「楽しい」は、イコールでないのかもしれない。


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