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私を含む"大人"と呼ばれる全ての人へ

20231202.

最近、腕時計をしなくなりました。
(仕事では不便)
それでも、私を取り巻く何かから開放された気分で面白い。最近の発見。

触れるもの、聴くもの、感じるもの、食べるもの、
少しずつ、心地の良いほうへ。

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この本と出会ったとき、今、読まないといけない気がして、今の私に必要な気がして、すぐに読みたくなって、気づいたら買ってしまっていた、そんな本。

レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』

わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。「もしもこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。

朝起きて、
太陽の光を初めて見たとしたら。

ふんわりとした布団を、
初めて触れたとしたら。

いつも目覚めるこのお家が、
初めて来た世界だとしたら。

そうやってひとつひとつを初めての出来事だと思うと、全てが新鮮に感じられるのではないかな。前に、大学の先生が言っていた言葉を、思い出した。

日々、生きていると、太陽の光が透明で美しいということも、布団が柔らかく温かい感触があるということも、感じているようで感じられていなくて、あることさえ当たり前になってしまって、なんとなく、生きてしまう。感じていなくても、生きれてしまうから。そんなことを感じる暇もなく、毎日が、一瞬一瞬が、せわしなく過ぎてしまうから。

だけど、そうではなくて、地球の、自然の、美しい力を感じ、毎日を新しい日々だと思って過ごすことで、私たちにこんな影響をもたらしてくれると、レイチェル・カーソンは言った。

科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。

これこそが、日々見すごしていた美しさに目をひらき、自然の小さな力にも目を向ける、理由なのだと。だからこそ私も、いつまでも、音や匂い、感触、自分で感じられるものに敏感でありたいと思っている。

私は、1人で歩くときは基本ゆっくりで、というのも一歩一歩踏みしめて自分で歩いている感じが楽しくて、(ゆっくりすぎて会社の人に笑われた)外では触り心地が面白そうな葉っぱがあったら触ってしまうし、自分の来た道を振り返るのも好きで、振り返ると今歩いている景色とは全然違うから、とっても新鮮で面白くて。

周りの人から見れば生きるのが大変そうなんて思われそうだけど、そんなふうに、ひとつひとつの出来事を感じ取れることが私は幸せで、毎日、私も、世界も、生きている感じがして嬉しくて。

✳︎

視覚だけでなく、その他の感覚も発見とよろこびへと通ずる道になることは、においや音が忘れられない思い出として心にきざみこまれることからもわかります。

最近、今のこととか、これからのこととか、考えることが増えて、気付いたら、時間が一瞬止まるように思考も感情も停止していて、無の時間が増えてしまった。
そんな無のときでも、私の深いところにまで入ってきたのが、音だった。

つい先日、私は初めての体験をした。
私に"合う"音楽と出会ったとき、それは起こった。

これまで、心地が良いと感じる音楽とは出会ってきたのだけれど、合う、と感じたことは、あまり無いと思う。それも、"自分のテンションやノリと、合う"というのとは違って、自分の心と体のでこぼこした部分が音によって埋まるような、ピッタリとはまる感覚。

普段何気なく聴いているときは、当たり前だけれど、私がいて、音がある。という感じ。あくまでも、私と音は別の存在。

でも、この前感じた自分に合う、というのは、音が自分の中に溶け込み、馴染むような、言葉で表すのはとっても難しいけれど、音と私がどこか深い場所で、ひとつになった感覚。初めてで、不思議な体験だったけど、その音楽を聴いていると、ふわあっと、気持ちの良い酔いを感じて、自分は今、ここに在るのに、いないような感覚にもなった。

イヤホンをして、その音をよく感じて、外の、開放された場所で、人も少なくて、太陽が自分に向いているときで、自分がこんな気持ちで、とか。様々な条件が一致したときに、その感覚になる気がした。

というのも、前にその感覚になってからは、まだ一度も同じような体験をしていないので、なろうと思ってなれるものではない気がした。気づいたらなっていた。みたいな。すごく不思議な体験だった。でも確かに、その感覚はあった。

と言っても、深く考えすぎか、敏感に感じすぎているだけかもしれないけれど、とても面白い感覚だったので、忘れないようにと思い、書いた。

そして何より、そのとき無の状態の私だったからこそ、邪念がなく、音そのものを身体全体で感じて、小さな振動にも、後ろで鳴っている低音にも、とても敏感に感じることができたのだと思う。だからこそ、自分に"合う"という感覚を、自分でも認識ができたのかもしれない。

目には見えない音も、匂いも、反対に、目に見える全てのものにも、いつも新しい発見と、発見したことで起こる感情や体験を、どんな些細なことでも大切にしたい。それだけで、世界は鮮やかになる気がする。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘や不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

この本は、これから大きくなる子どもたちへの大切な贈り物とも書かれているが、私は、私自身に対して、そして、私を含む"大人"と呼ばれるすでに大人になってしまった全ての人に向けた大切な贈り物だと感じた。
美しいものを美しいと感じ、小さな発見も大きな驚きに変え、ささやかな音にも耳を傾けられるそんな人であれるように。

この本を読んで、いつまでも、
神秘や不思議さに目を見はる感性を忘れたくない。
そう願った。

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最近はといえば
いただいたリンゴでジャムを作りました。

朝の、艶やかで透き通った光と
ジャムの相性がとっても良くて。
本当に、きれいで、きれいで。

りんごがおめかしされてとっても可愛かったです。

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