おばちゃんのイニシアチブ
おばちゃんにイニシアチブをとられる、ということがある。そしてその体験は大体その日1日のハイライトになる。
これは大手町のできるサラリーマンでも、とびっきりの美人の同世代の女の子でも、もしくはモデル級の外国人でもダメで、絶対におばちゃんでないといけない。思うに、これは「おばちゃん」という呼称に伴う圧倒的な日常性に起因している。毎日どこかですれ違っている、不特定多数の中のその一人の奇跡。
休みの日くらい、何か建設的で計画的で、今後忘れられない日にしたい、なんて思う。しかし、そんな日は1年のうちに何回かあればいい方で、大抵の日は、行き当たりばったりな、後でタイトルのつけようもない1日を送るのが常だ。そして、そんな僕の休日は、大抵の場合ドトールの2階に行き着く。適当にタバコをぷかぷか吹かしながら、そのとき読み進めている本を開いては閉じて、少しばかり考え事をしたり、窓の外の通行人を眺めたりしながら時間が過ぎて行く。
あるときの話。その日もそういう1日だった。ドトールに行って、220円を払って、Tポイントカードを出して、安いブレンドコーヒーを2階まで運び、窓際の席に座る。リュックから文庫本とタバコを取り出す。唯一いつもと違っていたのは、ポケットの中に手を入れると、いつもそこにあるはずのライターが入っていないことだった。
やってしまった...。狂ってしまった計画(元々計画なんてないのだけれど)と、軽い絶望感。しかし、まあそうこういっても仕方がないので隣の人に借りるしかない。右隣にチラリと一瞥を投げると、そこにはアパホテルの社長みたいな帽子をかぶった、平均を少し上回るくらいにおしゃれをしたおばちゃんがまっすぐに前を向いたままタバコを吹かしている。
「あの、すいません、よろしければライターを貸していただけませんか?」
おばちゃんは一瞬こちらに注意を向けた後、「ああ..」という感じで自分のバッグにしまった100円ライターを取り出し、僕に渡した。
喫煙者であれば、誰もが経験のある、いつものやりとりだ。
おばちゃんのライターは僕が買わないタイプの少し細い型の100円ライターだった。
「ありがとうございます」
僕はおばちゃんからライターを受け取ると、なるべく俊敏に火をつけて返そうとする。何回かカチカチと着火を試みていると、おばちゃんは片手にもったタバコを一口吹かして、まっすぐに窓の外を見たまま、
「それ、あげる。」
と言った。
僕はまだ火のついていないタバコをくわえたまま、一瞬状況が飲み込めずに、今しがた僕の所有物になったライターを握っている右手を宙に浮かべて、ポカンとする。
「あ、ああ、ありがとうございます」
慌てて、おばちゃんにお礼を言う。
おばちゃんはほんの少しだけ頷いて、やっぱりこっちを見ないまま、まっすぐ窓の外を眺めている。日曜日の吉祥寺はそれぞれの休日が溢れ、賑わっている。
おばちゃんはタバコの火を消すと、丁寧に飲み物を片付けて去っていった。去り際に「それじゃ。」と一言だけ僕に残していった。僕は大袈裟にへりくだってペコペコした。
この間、このときのことをふと思い出して、あのライターを探してみた。取るに足らない、いつかの休日の戦利品。しかし、1シーズン前のズボンのポケットとか、換気扇の下のキッチン周りとか、どこを探してもあのライターはでてこなかった。
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