それでもあの時語彙力がなくて良かったと思う

仕事もちゃんとしてるし
そこそこ友達もいる。

それなりに恋愛経験もあるのに
なんだか生きづらさを感じている皆様

こんにちは。

そんな私みたいな誰かさんに向けて
細々と自分語りしながら、誰かが共感してくれたら嬉しいなと思って
これまでの経験を綴ることにしました。

結構向き合ったつもりでも、
まだまだ上手くやれない自分にもどかしさを感じてますが、
こうして文章にすることで、整理されたりするといいなぁ。

というわけで、今回は過去を振り返りつつ自分語り。

「生きづらい」と自覚するまで

子供の頃は、友達が全く出来なかった。
親の付き合いの延長で、近所の子供達となんとなくつるまされる頃ってあると思うのだが、まるで上手くやれなかった。
私は思いを言語化するのが苦手で、かつ人見知りだった為、ただでさえ周りの子供達と円滑にコミュニケーションを取れなかった上に、
実はものすごく気が強くて、たくさんのことを考えていて、プライドもめちゃくちゃ高かった。

幼稚園の頃の子供達って、声のデカい奴が牛耳ることが多くて、(あ、大人の世界もか)
私みたいに一見大人しくて、体も小さい子は
だいたい従う側にされる。

でも私は従いたくないのだ。
声のデカい子はだいたいそのハッタリで物事を動かしてしかいないので、能力が伴ってない場合が多い。(あ、大人もか)
だから、私はそんなことに従えないのだ。

でも、思いを言語化できない。
人見知りして、異議を唱えられない。
相手が理解できるとは思えない。
信頼していない。

その結果、ぶつかることもせずに黙って家に帰るのだ。
そして「一緒にいても楽しくないな」が積み重なると「もう次から誘わなくていい」と言ってしまうのだ。我ながら怖いもの知らずだし、言葉足らずである。

そんな調子で小6まで生きてしまった。
まともに友達と呼べる子はいなかったが、
私は学年で一番成績が良く、ピアノも上手だったので、合唱コンクールでは伴奏をやったり、学級委員とか任されたり、学芸会で主役をやったりと、先生からの信頼は厚かった。

なので、友達がいないからって、
時にクラスからシカトされたって、
自分を卑下する要素が無かったのだ。

放課後友達と遊べなくたって、
受験とピアノの稽古で忙しかったし、
なんでもないことだと思ってた。
「私に1つでも勝てる要素を作ってからかかって来いよ。哀れな奴らだな」と思ってた。

なんて嫌な子供だ。

でも、この経験は私を強くしたし、弱くもした。
大人になってから、この頃に学ぶべきことを学べなかった弊害がやってくるとは思わなかった。どうして人を信頼できないのか。仲良く出来なくても苦痛じゃないのか。
気にしないでいられたのは、本当に強いからなのか?

何十年もしてから、私は向き合うこととなった。

他で地獄を見ていたから


なんで学校での小さな嫌がらせや
クラスみんなからのシカト
「好きな人と班を作ってください」という時の気まずい気持ちを
「なんでもない」とやり過ごせたのか。

タイトルの通り、「そんなこと、とるに足らない」と思うほどの地獄が他にあったからである。

それは家庭内にあった。

父親のDVに苦しめられる日々だった。

殴られ、吹っ飛ぶ母。
ひっくり返ってぐちゃぐちゃに床に散らばる夕飯。
家中に響く怒鳴り声、罵声、泣き声。

まぁ今振り返っても、すんごい地獄だったな、あれは。

でもそのことが、自分の人格形成に大きく関わってるなんて自覚したのは20代半ばだった。

認めたくなかったのだ。
こんなことが、自分にとって大きな問題であるということを。

気が強くて、プライドが高かったもので、
こんなこと私にとっては何でもない。
笑い話にできるし、人に話さなきゃいい。
私はあんな親の影響なんて受けない。

そう思っていたかったのだ。

弱味を見せたら喰われる


損な役回りは全て母が引き受けていた。

家事労働も育児も母。
暴力を振るわれるのも母。
ぐちゃぐちゃにされた自分の料理を泣きながら拾って片付けるのも母。
殴られて肋骨折られるのも母。
父の尻拭いをするのも母。
父の借金を返すのも母。
性に奔放な父を許すのも母。
働きたくない父に代わって稼ぐようになったのも母。
留置所まで父を迎えに行くのも母。

だから、私はずっと「母」になったらいかんと思ってきた。
母親ってなんて大変で損する役目なんだろう。

そして男だからという良く分からん理由で威張り散らす父を見て、「母」のみならず「女」って損だな。

そう思って生きてきた。

だから、自分にとって女を見せること。
女を使うこと。
女扱いされること。
男性に頼ること。
男性に守られること。
結婚して母になること。
それらは全部引っくるめて、日本社会、いや世界が生んだ壮大な差別くらいに思ってて、
なんとしてでも逃れたい。
そう願ってきた。

現実と妄想を分けて考える


さて、なんだか長くなってきた。そろそろ終わりにしたいので、このセクションで最後にする。

そんなこんなで、
私は被害者意識とかジェンダー意識とか
なんかこうグチャっとゴチャっと団子みたいになって、同じフォルダに収納されている。

なので、ある出来事によってそのフォルダがクリックされると、色んな思想が芋づる式に出てきて、思いがけない形で相手を攻撃したりする。

なんてこと自覚したのも、恥ずかしながら大人になってからなので、まだまだこのフォルダは整理整頓が必要である。
でもこれまで私の恋愛が上手くいかなかったのも、健全なパートナーシップが築けなかったのも、このあたりをまるっと無視して飛び級しようとしてたからなんだな。


まとめ


過去を振り返るのは鳩尾あたりがグッとなって苦しい。
過去を基盤にこれからどうしていくかという未来思考のほうがはるかに大事だと思う。
でも、現在地が分かってないのにカーナビに行き先をセットしても道順が分からない様に、訳の分からん一歩を踏み出してしまったりする。

なので一度自分の過去を掘り返して整理し直すのはオススメ。というか、あの時あまりの不幸さに直視できなかった、という様なことについて、ちゃんと苦しんだり恨んだり「◯ねよクソが」って思ったりして、感情を伴わせることが必要不可欠な過程でもある。
苦しければ苦しい程、感情オフって無になっちゃうよね。

でも、あの頃の自分に語彙力があったなら、
無自覚なまま沢山の無関係な人たちを傷付けていたと思う。
年々、人に対して優しくなれる様に、
幼ければ幼い程、とんでもないことを考えていた。自分を守る為の武器だったのかもしれない。

ということで今日はここまで。
またね。