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「働くことと愛すること」東畑開人さんの本を読んで

「こころ」について考えてしまうあなたに、教えたいのは臨床心理士の東畑開人さんの本です。
東畑さんの本で読んだのは2冊目。今回は『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』という本を読みました。この本もとても刺さるものがあります。

「愛すること」の本質は「いる」こと

3章「働くことと愛すること」には、私たちの人生に現れる「働くこと」と「愛すること」が描かれます。深層心理学者フロイトの言葉です。

「働くこと」とは、なんらかの目的があって、それを達成するために「する」こと。
「愛すること」とは、その目的は「愛すること」そのものにあります。

死者との関係は「愛すること」の最たるものですね。亡くなった大事な人のことを偲ぶのは、「願いをかなえてもらう」とか「厄を追い払う」という目的があってのことではありません。その人を思うことで心が慰められる。それで十分。死者を思うことの報酬は死者を思えたことにある。

東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』p85,86

この部分がとても印象に残りました。
私は高校の時に父が亡くなっているのですが、お母さんがいつも「私にはお父さんだけでいいんだもん」とよく言っているんです。

私は、老人ホームでも恋愛が生まれているのを聞いたことがあるし、お母さんの人生もまだまだ長い。
だから「これからのことはわからないじゃん」と答える。

だけでも、亡くなった人のことをいつまで思ってられるんだろう。
そこに存在しない人のことを、どうしてずっと思ってられるんだろう
って思うんです。

でも私もお父さんのことを思わずにはいられません。
亡くなって何年も経ったのに、今日も変わらずにお父さんのことを思って涙が出る。
いつになったら涙は枯れるんだろうか?

どうしてここに居ないのに思わずにいられないのでしょうか?

そして東畑さんはこうも書いています。

問題は、孤独になりやすい世界を生きているのにもかかわらず、僕らが孤独に耐えられないことです。
「もうつながりなんていらない、孤独が一番」という人もいるかもしれません。
だけど、それは過去の人間関係で耐えられないほどの傷を負ったがゆえの言葉だと思います。あるいは、その人は、現実には一人で生きていても、心の中では大切な他者と一緒にいるのかもしれません(記憶は財産です)。
「人間、死ぬときは一人」という人もいます。それは確かにそうかもしれない。
だけど、それを言うなら「人間、生まれたときは二人」です。僕らは誰かの体から生まれたわけで、少なくともその瞬間は孤独ではありませんでした。僕らの心には、誰かとつながっていた感覚や記憶が刻まれている。
ときにつながることによる苦痛が上回ってしまうこともあるかもしれないけれど、つながっていないことに苦痛を感じてしまうことも心の本性です。
僕らはつながりを求めてやみません。

東畑開人『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』p129

「心の中では大切な他者と一緒にいる」。記憶は財産。
そうかもしれません。

心の中で大切な他者と生きていて、その人のことを思って慰められるのであれば、それで十分。

いや、やっぱり十分じゃないかもしれない。その人はその人しかいない、だけど。

そうして今日もグレーな感情を見つめて過ごしているのです。
もう会えない人を偲びながら。


(あとがき)
嵐の大野くんの名前を最近見た時、芸能活動を休止していて、しばらく見聞きもしていないのに、大野くんの名前を見るだけでとても嬉しかった。
その人のことを応援していた記憶が、私の中に大切なものとして残っている。だから今遠い存在でもとても嬉しいのだと思います。
その記憶とか思い出があるから。
そんなこともちょっと思いました。おまけです。



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