辛いことがあっても生きていたらいいことがあるという考え方が私を死から遠ざける

よくわかんない時間になってしまった。


今は大学の夏休みです。長期休みは、すごく鬱々としてしまっていて、授業実施期間も結構自殺衝動に悩まされてはいたのですが、今は衝動性もなく、ただ気分が沈んだ毎日を送っています。希死念慮と絶縁できるときは来るのでしょうか。


小学生の時からある希死念慮。
でも私はいまだ死ねてない。
正直、本気で死のうと思えばいくらでも手段はある。
でも私は生きている。


それはどうしてだろうと考えた時に、自分は人生で享受すべき幸福を得られていないという実感があるからだろうと思った。
今までの人生で体験してきた、苦悩や苦痛よりも、得て来た幸福や喜びの方が少ない。そのバランスが不釣り合いなんだ。
(プラスの感情よりもマイナスの感情の方が、自分に影響を与える。いつまでも、トラウマといえるほどにまとわりつくという感覚がある点には、同意できるが。)



嫌でも生きていれば、いつかは幸福を享受できるかもしれないという期待が、私を死から遠ざけている。



「辛いことがあっても生きていたらいいことがある」という言葉に、私は人生で何回も裏切られてきたのに、理想の人生を歩むことへの憧れの気持ちを捨てることができない。

だから死ねない。


稚拙な生き物で情けない。


死ぬことが悪いのは、今後の人生で得られるであろう幸福を逃しうるから悪い。
自殺は、それを自ら逃すから悪い。
また、自殺は衝動的なものであって、それを実行するか否かは、その衝動性の有無によって決まる。
これが、今の私の考えです。


ブログここで終わりですが、

死んだらきっと天国に行けるからそれまでの我慢だから、頑張って生きようという曲です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?