ぐらしあすの「グレーゾーンのはざまで」
人生も趣味もどんなことであれ、スタートがあってゴールがある。
これがはっきりしている人は素晴らしいと実感する。
また、それが明確ではなくともプロセスを楽しめる人も素晴らしい。
ぐらしあすの場合は、今現在が仕事も生活も充実しているかというとそうでもない。であるならば、今現在どのような状況を率直に受け入れていて、今後の展望についてどう考えているかというのは不明瞭。
ぐらしあすのような心因性のうつ病がなぜ長引くのか考えてみた。
過去記事にもあるように、ぐらしあすはベースにADHD、HSP、性格の特殊な色の上に「うつ病」が乗っかっていると考えている。
これは知恵の輪のようなもので、容易にひもとけるものではない。
服薬でコントロールしているが、根本的治癒ってものがあるのかないのか不明。
現在の自分が何に満足していて、何が不足しているのかは言葉で説明ができない。バーバル以前の問題で、思考さえが混沌。
そして、今後の10年先20年先の展望があるようでないようでない。というか、これもグレー。
グラシアス自身は、この問題が明確になって、ゴールに向かって進んでい行かなければ、解寛はないと思っている。
つまり、現実と理想とのギャップに苦しんでいるわけであり、その現実と理想が明確であれば、順序だてて進んで行けそうなきがする。
悲しいかな、現実がグレーで、理想がグレーなので、どこからスタートして、どこがゴールなのかを自覚できていない。
情けないことだが。
現在のグレーから見た将来のグレーという、そのグレーゾーンの正体をつかめていないというか「あるようでない」、というのが実際で、そこが明確になって、ゴールへと進んでいかないことには、グレーゾーンで行ったり来たりの繰り返しで、なんら進歩がなく、これこそまさに治癒がないということで、これは誰のせいでもなく、自分自身の問題なのである。
今まで何を成し遂げたといえようか。
その時その時は必死だった。
しかし、やはりゴールを自分で自覚していないと、やりがいがないし息切れもする。
「夜と霧」の中でV.Eフランクルは言う「人生にとって大切なことは希望を持つことだ」と。
苦しくなったら、「夜と霧」を思い出す。
そうそうこの先は長いとは言えないので、太くかつ短く全うしたい。
本気で自分で自分のこころと向き合い、ごまかさずに開いていかなければ、グレーゾーンからの脱出はできないし、もがきながら死を迎えることになるだろう。
それは避けたい。
今からでも輝き羽ばたきたいと思っている。
上記と矛盾するが、スタート地点を探すのはやめよう。
スタートしてから次を考えよう。
もうはちゃめちゃにレールを作っていきたい。
ゴールは二つ三つはある。
プロセスがハチャメチャであり、くねくねしようが、ゴールに向かう羅針盤は、もうここから先はしっかりと握りしめたいと思う。
さて、力まず苦しみ、もがき、それでも進んで胸を張りたい。
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。