見出し画像

埼玉に住みながら東京で働いていた頃、眉毛が細くパールピアスだった

 今現在、コロナウィルスのせいで実質派遣切りに遭い、そこから物流の非正規雇用でひたすら家賃と食費を稼ぐ生活にもともと限界を感じていたところに、壁の薄いアパートの騒音問題にトドメを刺され、一駅隣が副都心の神奈川の片隅にある実家に住んでいる。ここで生活する日々が積み重なるほどに、東京という場所の、眩いほどのシャンデリアの輝きが特別過ぎて、ある種の特殊に感じる。都内で少し職場を転々としたけども、いくつかある中で高級レストランは特別印象的であった。そこには特別さを磨いていくという文化が存在していた。自分もまたその中にいたせいで、その文化に多少巻き込まれていた。様々な趣向が凝らされた少し暗い照明に音楽がかかったレストランの内部は、客が来る前に、私のような黄色い服の配膳人が、広いレストラン内を台車をガラガラ引いて歩き回って準備をしている。レストランの隅の決まった場所に水差しを補充したり、客と直接接する正規雇用のウェイターが開ける引き出しの中を見て、日中客に出してナプキンがどれだけ減っているのかを確認して、レストランの裏ディナーが始まる前で、まだ客も社員も来ていない時間に、真っ白に広がっているナプキンを一つずつ小さく丸めて折った状態のものを大量に作り、それを表に持って行って足す。とにかくそういうレストランの完璧な優美さを演出するための下準備をする仕事を、20代の半ば3年ほど、都内でしていた。高級感を演出するため硬い石で出来た床の上を、私がレストランの準備に与えられていた台車がガタガタなせいで、私が移動する度に最大級に音が響き渡る。古代のイスラエルで女性だか奴隷だかが、あまり早く歩けないように足に鈴を付けられて、彼らが歩く度に音が最大級に鳴る仕組みだったらしいけども、私の場合は一応台車だけであって、さすがに体には何も付けられていなかった。私は非正規雇用の配膳人だったけれども、社員たちもまた、私が必死に準備しているレストランのように磨かれて輝いていた。部署によってユニフォームは違ったけども、彼らを見て気がついたのは、体のラインをきっちり採寸した、完璧に真っ黒のスーツというものは、これ以上無いほどピカピカに見えるということ。これがもう素晴らしく男性職員たちを輝かせ、恋が始まるのもここからである。漆黒に輝くスーツを身に付けた男性がいると、当然男性と対になる女性たちが出てくるらしい。社員食堂で、中途採用で新しく採用されてきた、気さくな職員と食事をしながら話して驚いたのは、社内恋愛が盛んで、社内恋愛した場合、それを人事に報告しなくてはならないと入社の際に言われたということ。そう言われるほど車内恋愛が盛んな場合、常に社内の人が全員入れ替わるほどでなければ、複数の恋愛が被るというか、恋人が被る可能性は多少なりともあるとしか思えない。それぐらい全員して、一寸の隙間もなく自分の人生の全ての時間が、愛の感情全部にしたいという気持ちがあるように思えた。要するに二股が頻発するということ。おそらく事実、そういう感じの人間関係に一瞬なってしまっても別に全然問題無いという、本当に彼らなりのやり方というか、理屈があるのが察せられる。彼らからしたら、私のように、ろくに愛の感情を獲得したことが無い第三者がつべこべ言って来ること自体、鼻であしらえるというわけだ。私のメールボックスに、昇給と同時にグルーミングコードを確認して返信しろという記述と共に、社内で職員の陰口を言って職場環境を壊さないように約束しろという文面を見た時は、彼らのその理屈は相当緻密過ぎて繊細であることが伺えた。実行するには相当の慎重さを期すようにも思えるけども、愛の感情を獲得している人々にとっては容易なことなのだろう。私はそういう周辺の人の中で、普通に日々ガラガラ台車を引いているだけだった。しかし、その空間にいた私に徐々に変化が起きる。しばらくすると、レストラン内を歩いている時、とても自分の頭が小さく感じるようになった。それは顎を引いてレストランの表を歩くようになったからで、そうなると首周りの肉が引き上げられ、脂肪吸引していなくとも小顔に見えるようになるのだ。音楽のかかっている空間内を歩くだけで、自分の首が細く長く伸びているように感じる。もともと肩が上がる癖があり、昔クラシックバレエを習っていた頃、指導者にずっとそのことを注意され続けていたのに、レストラン内にいる時は絶対に肩が上がらない。そんな姿勢で歩く場所ではないのだと、黄金の照明を背景に闊歩する、黒く煌めくスーツに金のネームプレートを付けて歩くマネージャーの男性たちの、この世で一番瀟酒な場所にいるとあっさり確信している姿勢が、自分の働いている場所の価値を上げてゆくのである。私が私の周辺の、愛を獲得する人々と同じ姿になっていったのである。そういう確信のあるポマードで髪を撫で付けた男性たちのいる空間の入り口に、マゼンタのグラデーションの頬の、いつ見ても口角が上がっている女性のスタッフが立っている。派遣の配膳は、社員も誰もいない営業前と、客が食事をした皿がレストラン中の全てのテーブルの上に乗っている状態の、営業後のレストランの片付けまでするので、うっかりすると朝から晩まで彼らがいる音楽がかかっている空間にいるようになる。ファンデーションをつけていても、数時間もすると肌の皮脂が毛穴から出てきて意味を為さないので、素肌で働くようにしたら気持ち良過ぎた。唯一化粧するのは眉だけだった。私は毎朝非常に念入りに眉毛を書くようになった。世の女性たちは、眉毛を地肌に貼り付けないように、会社に出勤する時に纏うシフォンのスカートのようにパウダーを載せたり眉用マスカラで眉毛をふんわりさせる。しかし私は完全に逆だった。レストランの中を長時間歩き回り、何時間かすると肌の表面がじっとりと湿るため、朝の時点で芸者のように、しっかりと肌にペンで眉を描いた。自分の小さく丸い目の形に合わせて、細く丸い形に眉毛を書き上げるのが、私の唯一の化粧だった。朝、布団一枚敷くだけで部屋が一杯になる、埼玉の単身用のアパートの布団の中で目が覚め、顔を洗い、部屋に備えつけの棚の顔の高さに置いてある、落ちても割れない鏡に自分の顔を映して化粧を始める。レストランの準備のため早朝出勤の時間が無い時に限って、腕をぶつけて棚から落として割ってしまうイメージが湧いて以来、ガラスの鏡はレストランで働いている数年間、そのアパートの部屋に置いてなかった。目の上の形に合わせすぎて、タレ眉にし過ぎないように眉尻から下に向かって、キャンメイクの楕円形の黒に近い茶のペンシルをサッサっと少し走らせるように描いていく。そうするとそのうちペンが眉頭まで達するのだけども、眉頭が一番高くなるようにすると、左右の眉頭の距離が離れるように仕上がり、この上なく温厚な雰囲気の顔に仕上がる。なるべく自然にしようとするのだけど、日によっては殆ど黒鉛筆で描いたかのように出来上がる日があり、その上更に絶対に落ちないように透明のマニキュアのようなキャンメイクのアイブロウコートを二、三回塗って完成させるので、こうなると本当に芸者のように丸い線の眉に描き上がる。眉を描くのに必ず使うこの二つは絶対に切らさないように、部屋に一つだけある腰までの高さのチェストの上の段の中の、プラスチックの小分けケースの中に常備していた。この眉ペンシルで温厚な雰囲気の顔を仕上げ、服装は、耳につけていく偽パールのピアスに違和感の無い服装に自然となっていった。冬はユニクロの少し高めの、生地の表面が滑らかに見えるように加工してあるロングのダウンコートで全身隠れてしまうけども、問題は夏だった。肩幅のある上半身と腰幅の強い下半身がすっと入る服装にパールピアスの組み合わせを考えて池袋で買い物をした。ユニフォームの下に着る黒い半袖シャツの上から無印良品で買ったネイビーとグレーのリネンのカーディガンを毎日交互に着た。下半身は、友人にも褒められた綿のサッカー織りの生地のネイビーと黒のズボンを、上着と同じように毎日交互で、ウエストは毎日同じ茶色い細いベルトを付けた。無印良品であるのに、そこにパールのピアスを身につけると、物凄く上品な会社勤めの女性のようになるのだ。その頃、私の髪型は、真ん中分けのショートヘアで、おでこに髪がかからないように両耳にかけて、温厚な雰囲気の丸い眉毛が全部見えるようになっていた。朝、その姿で埼玉のアパートを出て、最寄り駅から、京浜東北線で東京に向かっていった。客が入る入り口とは別にある、地下の従業員通路から建物に入って行き、満員電車で多少体調不良になっている状態で、シルクを装ったユニフォームをピックアップして更衣室に向かう。正規雇用の職員は入り口からすぐの場所の更衣室を利用していたけども、私は地下4階までユニフォームを持ってエレベーターで下がって行った。地下4階まで来ると目につく職員が誰もいないこともある。静かな廊下を歩いて奥にある、清掃の女性たちが使う更衣室の中に非正規雇用の私のロッカーがあり、そこでしゃがんで準備した。更衣室を出てエレベーターで上階に上がり、タイムカードを切ってからレストランに出ると、そこはもう香りが異なる。私は出勤前に仕上げた、額が広く見える垂れ下がった眉の書かれた顔でフロアに歩き出て行った。私以外のレストランのスタッフも、完璧にクリーニングされたユニフォームを来て、私と同じように裏口からフロアに出て行っていた。そして自分が、昨日より今日の方が体が軽く動けるという気持ちで歩いていた。私は長時間労働で実際に日に日に痩せていた。それでも金色の照明の中を、軽い体に温厚な眉化粧をして歩く瞬間は、絶対に肩が上がらない。こういう風に日々を過ごして、私の20代は、安い家賃で埼玉に住みながら、東京のレストランで非正規雇用で働く人間として、あっという間に過ぎていった。今現在も美しいスタッフたちが、各階の裏口からそのレストランの表に出て行っている。私は今はそこを離れ、無職で日々文章を書きながら自宅にいる。横浜の実家で寝起きする日々が、私が都内にいた頃に纏っていた背景を、いつの間にか私の背後から消え去らしていった。20代半ばの私は、埼玉に住んでいながら東京の人間の姿をしていた。東京と違い、自分自身の生まれ育った神奈川は、私をありのままの姿にするようである。いつの間にか体重が2キロ増えた。母に教えてもらった腰幅を気にせず履けるユニクロのレギンスに、ミッフィーのトレーナーを着て、マクドナルドで一定時間毎にモバイルオーダーで食事を注文しつつ、4、5時間座って作文したり、『極楽町一丁目』をじっと読んだりする。生まれ育った神奈川で、神奈川の人間の姿になっていると思う。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,477件

31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。