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体感せよ。人生に色彩を

私の出身は大阪市だ。
生まれは大阪、育ちは兵庫。
そして今私は長年慣れ親しんだ兵庫を離れ、大阪に住んでいる。
大阪とはいっても京都に近く、皆が思い描くような大阪とはかけ離れている。大阪といっても広い。大阪の中にも大都会はあるし、こんな田舎が、というような場所もごまんと存在する。
私の住んでいる場所は、京都に近く、滋賀にも行きやすく、奈良も少し足を伸ばせばすぐに行けるような場所だ。
普段使っている電車は京阪電車。「京阪のる人おけいはん」というコピーもあるように、京阪電車は基本的に京都への便利が良い。
私は以前、ヘビー阪急ユーザーで、人生の大半をそのあずき色の電車を使用することに費やしていた。まぁ、一口に兵庫と言っても広い。私の住む地域は、阪急が便利だったのだ。

今回は、意外と兵庫って広いし、大阪も広いし、京都も滋賀も広い。けど、日本って狭いよね。という話と、移動することで広がる自分の中日本地図の話をしようと思う。

最近といっても2、3年前から大阪に住んでいる。
今はヘビー京阪ユーザーだ。
全ての電車の中で京阪の座椅子が1番座り心地がいいし、空調もいい。唯一いけてないことといえば、三条のトイレが和式しかないことと、石鹸がクソほど使いにくいことぐらいだ。阪急の座椅子もまぁ、悪くない。京阪の次にいいだろう。
京阪を使うようになって思ったことは、それぞれの電車で懇意にしているコンビニがあるということ。阪急はローソンだった。京阪は、アンスリーだ。皆さんアンスリーをご存知だろうか。若しくは、もより市だ。きっと京阪を乗らないそこの君は聞いたこともないんじゃないだろうか。それも日常的に使っていなければ・・・。アンスリーともより市は、いつも京阪に寄り添っている。どこの駅に行っても、殆どローソンはない。住み分けだろうか?

京都寄りの大阪に住むようになり、本当に京都と奈良と滋賀が近くなった!驚くほどに!1番私を驚かせたのは、滋賀の近さだった。以前兵庫に住んでいた時は、滋賀は遠い遠い世界の果てだと思っていた。日帰りなんてとんでもない。なんて遠い場所!というイメージしかなかった。それがどうだろう。ちっか。近すぎる。JRの京都駅から一駅目に山科駅というのがあるのだが、もう次の駅から滋賀だ。ちっか。この距離感というものは、こうも簡単に覆るものなのか。車で行ったら、秒で行ける。私の日本地図どうなってたん。
しかし、今住んでいる場所から兵庫は遠いので、実際以前は遠い遠い世界だったのだろう。しかし、同じ関西圏でありながら、思いの外遠く、また近いこの感覚に、自分の中の日本地図ならびに関西圏の地図の大幅な改定が進行した。
その改訂は、何度も繰り返し行くことで精度を増していった。
本当に、人間の脳というものはどれだけ勝手に「こんなもんだろう」と思い込んでいるのだろう。頭で、勝手に行ったことないけど、こんなもんでしょ、と何故にそんな確信を持っているのか。

最近、私は二度程姫路に足を運んだ。
京都駅から姫路に直通で行けるのだが、ずっとそれが気になっていて、遂には実行したという訳だ。姫路は大昔に一度行ったきりだったので、軽い気持ちで行ったら、すごかった。かなり様変わりしていて、一時期私は、口を開けば「姫路は、姫路は」と熱に浮かされたように姫路の虜になっていた。この話は長くなるので、またの機会に語る。
私の住んでいる場所から姫路までおよそ一時間半ほど。
姫路の更に西側に赤穂があり、大体そこが兵庫の西端だ。
近いといえば近い距離だが、遠いといえば遠い。
普段の遊び場所を思えば少し遠めのお出かけ先となる。
昼くらいに行こっか、と赴き、軽く見て帰るつもりが、すっかり変わっていた姫路に浮かれて、ここまで来て姫路城見て帰らんのもな、と行ったが、昼過ぎから行ってそれは、少し横暴過ぎた。この話はまた。
兵庫といえば、日本海側には舞鶴があり、ここになるともっと時間がかかってくる。
姫路然り、知った気になっている場所の何と多いことか!
姫路に行く途中には須磨や明石などもあり、ここにも訪れたこともあるが、本当に日本は面白い。
姫路に行くには何通りか行き方があるのだが、私は昭和感のある阪神電車で行くのが好きだ。姫路駅前には昭和感満載の阪神百貨店なるものもあった。姫路の話はまた今度(話したくてしょうがないようだ)

その前に、昔の私の話をしよう。
出かける時の脳の回路が明らかに昔と最近では変化しているのだ。その変化が面白く、かつ人生を楽しむ上でとても大切な回路に思う。
昔の私は、遊ぶ場所といえば、梅田に行くか、神戸に行くか、京都に行くか。そして駅近辺をぶらぶらして、ショッピングなどをして、どこかでランチを食べ、また暫くショッピングをして、カフェでも入る。カラオケに行ったり、映画を見たり。まぁ、型押しみたいな「遊び」だ。そうゆう定番の遊びを経験することも勿論大切だと思う。
しかし、あまりにも決まりきったルートを毎回毎回辿るのだ。京都に行けば取り敢えず、清水寺に金閣寺、銀閣寺。神戸に行ったら、アーケードを歩いて、南京町に行く。お決まりのコース。まるで、そこから別の場所には行けないゲームの世界みたいに、見えない壁があるみたいに、毎度毎度飽きもせずに同じコース。そこに何の疑いも持たなかった。世界はそこが全てだったし、そこで完結していた。終わり。
でも、最近、そうゆう定番じゃない場所や、遊び方をするようになった。
同じ京都でも出町柳の方を歩いてみたり、鴨川沿いをコーヒー片手にただただ歩いてみたり、近所でパンを買って鴨川沿いで食べてみたり。前だったら、少し遠いなと敬遠していたような場所に日帰りで行ってみたり。
きっかけがあったのか、それともじわじわ変わったのか、どちらもあるような気がする。前の私だったらそうゆうことに楽しみを見い出せず、つまらなく思っていたであろう。それが何故に楽しめるようになったのか。それは、すごく大事なことのような気がするので、少し掘り進めて考えてみようと思う。
私の中で一体何が、どう変わったのか。
この変化は、人生を楽しむ為の必須の変化だと思うので、変化できたことは非常に幸運なことだし、嬉しい。以前の私のまま、人生を生きていたらきっと人生はまるで、ゲームの中の一部分のように色褪せていたことだろう。それなりには楽しめていたとしても、もっと奥深く、人生というものに色彩をプラスするのであれば、この変化は前提条件だろう。

「遊び」というものを固定概念化していなかったか。
周りの人がそうやって遊んでいるから、とある種固定化し、ただ、誰かの踏んだ轍を踏み、単に準えることで、自分がどうしたいか?と考えることを放棄していなかったか。そこに本当に自分の感情はあったのだろうか。
一概に遊ぶといっても、一人一人楽しいと思えることは違う。ある人は、食べ歩きが好きだろうし、喫茶店で日がな一日ぼーっとするのが好きな人も居るだろう。そこに自分の意志と感情がなければ「遊び」はたちまち色彩を欠く。
勿論、所謂定番の遊びであっても、好きな人と一緒に遊べば楽しい。それは前提条件としてある。普通に楽しい。
だけど、流されていないだろうか。どこか退屈な毎日、どこか色彩を欠いた毎日。周りの「普通」に流されていないだろうか。そこに自分の軸は、感情は、意志はあるのだろうか。
例えば、一日中川沿いでぼーっとしていたっていいのだ。一人でカラオケに行ったっていいのだ。日帰りで東京に行ったっていいのだ。
いつでも、刻一刻と流れていく時間の中に、常に自分という中心があるのを感じる。何かをする時、そこにきちんと「自分」が居るのを感じる。そうやって、一瞬一瞬、自分に問いかけ、バラバラに解れていく自分自身を手繰り寄せる。そして、バラバラに解れていった自分を再度自分の手で作り直すのだ。

私は、昔意志なしなし人間だった。
自分の人生に於ける意思決定を母親に委ねたり、兎に角ゾンビのように毎日をただだただ咀嚼していた。ただ、そこに「在る」だけの日々。
まるで、クノップフの見捨てられた町のように色彩を欠き、どんよりとしていた。世界の終わりのような色彩だったかもしれない。
これではダメだと、自分の意志で生きることを決意してから、世界は急に動き出した。ただただ流れ続ける列車の車窓に流れる景色みたいだった人生が、きちんと私を中心として人生が動き出した実感があった。
自分の中の「好き」を感じ、それのために縦横無尽に動き回った。
初めての夜行バス、初めての東京、初めての海外旅行、初めてのライブ。
そうやって少しづつ少しづつ、私は自分の人生を自分の手元に引き戻していった。自分の内観を続け、自分の「好き」をあらゆる角度から感じたり、町の持つ感触や生活の匂い、歴史を感じたりしているうちに、この世に同じものは一つもないことを知る。
今まで何となくただただ流れていたブラウン管の向こうの世界が、いきなりぐっと目の前にリアリティを持って広がった。
テレビの中が全てではないと知る。テレビの外側にこそ世界が広がっていると知る。今まで、一体どれだけ狭量な世界で生きていたんだろう。
私は、その時やっと「当事者意識」を手に入れた。それは、目の前に起きていることを自分ごとと捉えること、自分の頭で考え、自分の意志で行動すること、自分の中の興味や好きを捉え、細分化し、深度を深めていくこと。
テレビの向こう側も、私からずっと地続きの世界であることを知った。自分も世界の一部であると知った。テレビの向こう側の人間も、自分と同じ人間であることを知った。彼らは、私と同じ人間で、痛みを感じ、喜びを感じるのだと。
何故だろう、ずっと私はどこかで自分の人生を、まるでテレビを見るように、他人事のように眺めていた。そこに自分の意志はなかったし、感情もなかった。自分の人生を生きていなかった。

ある日、ふとこのまま流されたいたらやばい、と気付き(「拝啓、あの頃の自分へ」参照)自分の人生を取り戻していった訳だけど(それでも急にスッとは無理だった)あのまま流されたらやばかったと思う。

地道に自分の人生を取り戻していった私だけど、多分今何があっても、どんなものも楽しめる自分になれたのは、その頃の私の地道な努力あってこそじゃないだろうか。ありふれた日常の中にこそ美しさや楽しさがあり、それこそが人生なのだと、気付けたのは、きっと一歩ずつ自分の足で歩いて、感じて、考えてきたからだ。私は長い時間をかけて自分を取り戻して来た。まだその途中だろう。何をしたって、何を感じたってそこに「自分」がなければそれは、ただの砂山と同じではないだろうか。

話を戻す。
何がきっかけだったかは分からないが、初めて滋賀に車で訪れた時、思ってるより近いことに大変驚いた覚えがある。
電車で姫路に行った時も、意外と一日で行けるな、と思ったのだ。
そしたら、その先の赤穂や、岡山、四国も行けるやん。となったのだ。
私の頭の中の日本地図が少しずつ拡張されていくのをリアルに実感している。
初めて香港に行った時も、東京に行った時も、同じように感じた。
意外と行けるな、と。
行く前は何だか遠くに感じていた場所が、一度訪れることで、一気に距離が近くなったのだ。
その時に気づいたのだ。行こうという気持ちさえあれば、どこへでも行けるのだ。何だってやれるのだ。

昔働いていた職場の友達に、関西に住んでいながら京都に行ったことがないという子が居た。私と同じ年齢だったので、そこそここの世界で生きている。そんな人間居るのか、と驚いたもんだが、初詣に行かない人間も居るし、祇園祭聞いたことない人間も居るのだ。やはり、私達は生物なのだと痛感した。ユクスキュルの環世界だ。人は見たいものしか見ないし、その人に必要な情報だけで世界は構成されている。
同じ世界に住んでいながら、全く別世界の住人のようではないか。
私だって例外ではなく、もう何十年もこの世界に生きていながら、全くもって初めて聞いた地名や情報は山のようにある。いかに自分が井の中の蛙か思い知らされる日々なのだ。その度に、私は腐った脳みその情報を更新している。
私は「関西に居ながら京都に行ったことがないなんてあり得ない」と非常に訝しみ、家族にその話をしたものだった。家族も概ね私と同じような反応だった。別にめちゃくちゃ交通費が高い訳でもないし、一日がかりでないと行けないような場所でもない。私は不思議だった。
私は、ずっとそのことについて考え続けていた。最初は彼女に対して、理解できないというような感情を持っていたが、最近は別に彼女が京都に行こうと思わないのも、行かないのも自由だし、それで彼女が良いなら良いではないか。という結論に至った(至極当然の結論だ)別に京都に行って世界が変わる訳でもない。そうゆう人も居るのだ。と私はこの世界の多様性を受け入れた。私は色んなところに行くのが好きだから、行ってないなんて勿体無い、と思ったが、それは私のエゴだと気付く。もし、京都が彼女にとって必要な場所なら、彼女自身のタイミングで京都に訪れるだろう。そうゆう風に世界はできているのだ。
私が私自身のタイミングで色んなものに出会うように!

この世界は体感が全てだ。
ずっと気になってるけどやらなかったネット通販をしてみるとか、名前は知ってるけど、やったことないスポーツをやってみる、降りたことのない駅で降りてみる。その度に、自分の脳が少しだけど拡張されるのを感じる。
知った気になっていた言葉の意味を調べる。何で?と思ってぼんやりさせていたことを深掘りしてみる。今まで着たことない服装をしてみる。今まで作ったことのない料理を作ってみる。何も大金がなくても、私たちの周りには体感が溢れている。自分が住んでいる町の名前の由来を知っているだろうか。近くにある神社に祀られている御神体を知っているだろうか。その歴史は?もっといえば自分の国のルーツは?知らないことを知っていくこと、体感していくこと、それで脳の中はどんどん更新していくだろう。そして、ぐっと世界にリアリティが増す筈だ。

自分の物語に色彩をプラスさせるのは、他の誰でもない自分なのだ。







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