紙の本と、世界のはなし。
不安、ってほどはっきりとしたものじゃないけど、時折思います。
文字、というものに、いったいなにができるんだろう。
きっと、わたしの表現に、さしたる力はない、んですよね。
社会のありかたがガラリと変わる、とか、どこかで起きている争いをただちに止める、とか、そんな大それた力はない。もっとも力を入れている表現媒体の小説でもそうだろうし、歌や曲、アクセサリーなんかもそう。
わたしの力で動かしうるのって、すごく、小さな世界のものごと、だと思う。
でも、それでいいんだ、とも思うんです。
あなたのこころに、一節でも、ひとことでも響くものがあったなら、それだけで。
わたしは、紙の本、って媒体がだいすきです。自分の作品についても、最終的には、紙の本を完成形としています。
紙の本をつくり続けているのには、いろんなわけがあるんだけど。なかでも、すごく大切な理由があって。
「あなたがページを開いてくれているあいだ、この物語は、あなたのためだけに開かれた世界である」から。
あなたが羽ばたいていける世界を、ひとつ増やしたいんです。
わたしがあなたにかけられる魔法は、あなたが本を手にして、読んでくれているあいだだけのものだと思うけれど。あなたが本を開いてくれるかぎり、わたしは、何度だってあなたに魔法をかけられるんです。
小さな星を、やさしい夢を、あたたかく灯るランタンを。
この、ままならない現実を、一緒に越えていけるように。
わたしの表現が、読み手さんの日々を、ちょっとでも明るいほうへ導くお手伝いになっていたら。そしたら、わたしが表現を続けることで、世界はちょっとずつ、きらきらしたほうへ変わっていく。
ほんとうに微々たる変化でしかないとしても、なにも変わっていないわけじゃないはずなんです。ちょっと呼吸が楽になったり、ちょっと胸があたたかくなったり、ちょっと気持ちが軽くなったり。そういう「ちょっと」を積み重ねた先で、いつか、誰かの人生が変わるかもしれない。どこかで、世界を変えることに、つながるかもしれない。
それは、きっと、素敵なことだな、って。
文字に、なにができるか。
いろんな答えがあると思うし、あっていい、あってほしい、と思います。
そのなかでもわたしは、「小説は、読み手の逃げ場になれる」ってことに、可能性を見いだしています。
他ならぬわたし自身が、そのことに救われてきたから。
小説って、ほかの表現媒体に比べて、すごく読み手さんのお時間をいただく傾向が強いです。と同時に、読み手さんの望むペースで味わっていただくことができる、って性質も併せ持っています。
これって、わりと独特な世界なんじゃないかな、と思うんです。
だから、どうしようもなくどこかへ逃げたくなったときの一案として、本を開いてもらえたらいいな、って。
べつに、わたしの本じゃなくてもいいんです。もちろん、わたしの本があなたの力になれるのなら、嬉しいな、と思うけれど。それよりも、その瞬間のあなたが「行きたい」と思う世界につながる本を選んでいただけたら。
紙の本は、そのページに描かれた世界だけに浸る時間を、あなたに贈ることができる。
もちろん、お好みでお菓子や飲みもの、音楽、アロマなんかを添えることもできますが、それらは好みの領域であって、読書における必需品ではありません。
服のポケットってなると、ちょっと厳しそうだけど。鞄のポケットに、ひとつの世界を忍ばせて、持ち歩くことができて。表紙を開いたら、もう、文字を追っているあいだ、ほかのことを考えなくていいんです。
もちろん、記されている内容とは違うことを考えていてもかまわない。紙の本は、それを咎めたりしません。
どうかな。あなたがこの現実を生きていくうえで、ちょっとくらいは、文字もお役に立てるかもしれない、と思うんです。
どうしても、相性はあると思いますけどね! わたしにランニングが向かないように、読書がしっくりこないひともいるのでしょう。
とはいえ、この記事をここまで読んでくださっているあなたのためなら、文字が支えになれる場面はありそうに思いますよ。
ふわふわと思いつくまま書きとめていたら、ずいぶん遠くへ来ちゃいました。
そしたら、今夜はこのへんで。星が降るラボラトリの物書き、雨谷とうかでした。
またね!
2023/01/10
雨谷とうか / 飴屋
@ameya_ayameya
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