ほめるについて考えてみた

考えてみたと書いたが、実際には常日頃感じてることだったりする。

褒める、褒められる、いろんな場面で起こると思う。私も人間だし疲れることもある。
疲れすぎたら褒めて欲しいという気持ちになる。みんなもそういう経験あると思う。

少なくともTwitter見てる限りそう感じる。
Twitterにいる褒められたくなってどうしようもなくなった人は大きく分けて、2パターンだなと思っている。

1.とりあえずなんでもいいから褒めて

もうほんとになんでもいい
「生きて偉い!」とか「褒めてと言えて偉い!」
残酷なことを言えば、誰でも言えることでもいいから褒めて欲しいと思う人。
言い方を変えたら、褒められるという行為で回復するタイプだと思う。

確かにその人のことを知らずとも、コメントしてくれる人なら多少は気にかけてくれてるということになり、「嬉しいな〜頑張ろ!」と言う気持ちに変化していき、やる気に変換されるのかもしれない。

だか、私のようにひねくたこんなタイプも居ると思ってる。それが次に紹介する2パターン目。

2.ちゃんと見た上で褒めて欲しい

誰でも言えるようなbotのような言葉にはむしろ嫌気がさしてきたり、イライラしたり、「なんで誰でも言えるようなことしか言ってこないの」、もしくは「誰でも言えるようなことしか私は褒められるところがないんだ…」と無駄に落ち込んだりとこのタイプはひねくれてるし厄介です。

自覚はあると思います。
でこういう人達がどうアピールするかと言うと

まず、褒めて欲しいという発言をします。

次に、誰でも良くない、自分の頑張ってるところで褒めて欲しいとかそんなアピールをしだします。

最後に、こんなこと言ってるから誰も褒めてくれないんだと世界を突き放します。

ひねくれてますね〜厄介だ。w

まさに私はこれなので、世の中のなんでもいいから褒めてで、褒められて満足出来る組の気持ちを心からは理解できません。

もちろん、なんでもいいからって人たちも理由があればもっと喜ぶでしょう。理由なしの方がいいとかはもう心の闇が深そうすぎて専門家にお願いすべきだと思いますw
なんて冗談はさておき。

まあなので、2の人は逆に人を褒める時も自分ベースで考えて褒めるの難しいとなってる気がしてます。私も難しいなーと感じてはいます。
でも2の人たちは少数派なので、「今日も頑張ってえらい!」と言われたら、大抵の人は嬉しいみたいです。

気をこちらに向けて貰えただけでもありがたいこと、幸せ。わかります。
でもそれじゃ満たせない。それだけの事ですw

では今日はここら辺で


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