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ミスiDに出るほど、経験がないわたしは
ミスiD2020のカメラテストをずっと見ていて気づいたことがある。それは、この人たちは元々何か持っているってことだ。あたりまえだ。何かっていうのは、芸能関係の経験だったりがほとんどで、そうでなければ強烈な趣味だ。それは仕事にもなり得るような。それに比べてわたしはどうだ? 何もない。全然何もない。
ではなぜミスiDに出たがる、なりたがる? それに対する最悪の答えをわたしは持っている。手っ取り早く、そういう人間になりたいのだ。それはちょうど、問題集を買えば勉強した気になるような子どものように。ミスiDに出れば、わたしは「何かを持っている」人間だったことになれる気がしている。これは絶対に間違いで、明らかに落ちる人間の思考なのだ。
もしわたしに何らかの主張が許されるなら、それはふたつある。ひとつは教育で、もうひとつは詩のことだ。
わたしは家庭教師をして、高校偏差値40未満の世界を見た。彼らにとって勉強は苦しみでしかなく、しかし教えるとどんどん伸びる。とはいえ、10点が30点になる程度だけど。わたしはこの世界のことが嫌いではない。わたしの知らなかった世界。進学校育ちのわたしが知らなかった世界だけど、どこか心当たりのある。わたしも「宿題ができない子ども」だったからだ。わたしはここを脱出するのに、大人になるまでもがいた。子どものわたしに、誰かが教えてくれればもっと早く脱出できたろうに。この世界を変えたい。自分の手で。
詩が、もっと日常になればいいと思っている。今、詩は、ただのキャッチコピーに成り下がっている。売るための言葉。それか、教訓とか、きれいな言葉。学校でもほとんど正しく習わないと思う。だから詩は誤解されている。わたしは詩集をそばに置いて、解釈もするし、自分の感情を持って読みもする。わたしは、詩が誤解されたままの世界では嫌だ。もっとたくさん人で、詩を読みたい。
これらの主張はわたしにしかできない。だからもっと大きな声で叫びたい。この世界を変えるのはわたしだ。わたしの好きな世界に。わたしが本当に見たい世界へ。
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