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イマジナリィふぁごさん

入院してから、もしくは最初の手術をしてから、もしくは飛び降りてから、わたしは悪夢ばかり見ていた。悪夢、と名前をつけていたそれは「せん妄」だったらしいことを後から知る。せん妄とは、認知症のような症状が一時的に出る意識障害。わたしは確かに、病室にいろいろな人が来て、いろいろ言われたような気がした。でもわたしは誰にも何も言わなかった。ただ、変だな、嫌だなと思っていた。何も言えないのだ。言える性格だったら飛び降りていない。

そうして誰にも気づかれないまま、わたしの意識はわたしの左足と同じようにぐちゃぐちゃになっていた。起きていれば痛く、眠っていれば辛い。そんな状態が1週間続いた頃、わたしはある人の夢を見た。

ふぁごさん。

起きたとき、ふしぎな多幸感に包まれていた。夢も、すっきり意味がわかるものだった。体は痛いままだったけれど、少しの間だけ、慰みになった。

ふぁごさん、とわたしが呼んでいる人は、大学時代の吹奏楽部の先輩だ。ファゴットを吹いていたから、ふぁごさん。特別仲がよかったわけでもなく、部活もわたしは1年でやめてしまったし、どうしてふぁごさんの夢を見たのかわからなかった。けれども、幸せだった。

ふぁごさんと初めて話したのは、大学1年の4月のことだった。入ったばかりの部活で、けらけら笑って明るいキャラを作っていたわたしが、ストレスや緊張から何も食べられなくなっていたのに気づいて助けてくれた。お菓子を少しだけ食べられたのを褒めてくれた。誰もいなくなった部室で、少しだけ抱きしめてくれた。

その日の帰り道、と言ってもふぁごさんは反対方向なのに送ってくれて、ずっと気になっていたことを聞いた。わたしが入った吹奏楽部はすごく「下手」で、ふぁごさんはどうしてこんなところに留まるんだろう、と。まだ1か月未満の付き合いだけど、ふぁごさんには知識も実力も備わっているように見えた。大学で楽器をやるなら他のサークルもあるし、インカレに入ってもいいわけだし。もちろんわたしも「下手」以上の魅力を感じて入って来ているわけで、わたしは、ただ自分の選択を肯定して欲しかっただけだった。

「この部活を、上手くしたい」ふぁごさんは言った。自分の手で上手くしてやりたいんだと言った。ふぁごさんは学生指揮者だった。学生指揮者の立場ならそれができる。

わたしは嬉しかった。わたしも同じ気持ちだった。未だに思い出しては「嬉しい」と思う。結局辞めてしまった部活だけど、あの時点でのわたしが入部したという選択は間違えていなかったと思える。

その年、コンクールの地区大会で全体の半分の順位まで上がることができた。今までずっと最下位だったのに。4年の先輩は泣いていた。月8万円のバイトをしながら部活を皆勤することも、それなのに周りは全然出席しないことも、辛かったこと全部報われた気がした。

ふぁごさんとは、1回だけデートしたことがある。他の大学のオーケストラの定期演奏会を観に行った。帰りの電車の中で、ふぁごさんは「うち来る?」と言った。お酒は入っていなかった。でも、行かなかった。

行かなくて良かった。行かなかったから今、ふぁごさんのことを純粋に「好きだった人」として思い出すことができる。過去の「男」としてスクラップしなくて済む。そして思い出の中のふぁごさんが、ぐちゃぐちゃのわたしを救ってくれる。あの頃と同じように。

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