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Stock【小説】

 こんな大学、不合格でよかった。
 ……はずなのに、そんな大学にすらなじめなくて今日も授業を抜け出した。
 他の学生がサボるのと、自分のは訳が違う気がする。私はあの教室には居場所がないような感じがして、すごすごと退散して来たのだ。サボるなんて言えるほど自分は偉くない。
 自分が行ける範囲でいちばん高いところを目指して、わたしは他学部の棟をかけのぼる。
 息が切れる。階段のせい? いや、違う。別に高校までと違うのだから、今が授業中かどうかは人によるのに、どうしても、何かいけないことをしているような気がして、うまく息が吐けなくなる。
 屋上へのドアを、ばっ、と開ける。
 結局、私は何ひとつ変わっていないんだ。逃げてばかりで——。

 一年の頃、全然授業に出なかった。結果、たくさんの単位を落とした私は、二年になってもまた同じ授業を取っている。必修なので取るしかない。
 だからと言って、やる気になったわけではない。でも、さすがに今年も落としたら卒業まで怪しくなる。それはまずい。だから授業に出ているだけ。
 私は大学受験を失敗してこの大学に入った。しかも、少しでも偏差値の高いところに行きたくて、好きでもない学科に入ってしまった。
 授業には集中できない。ぼろぼろになった英単語帳をそっと、リュックから取り出す。このままここに置いて行ったら、すぐに溶けてしまいそう。
 ぺらぺらめくる。この単語帳は私の「大切」だ。高校で買わされたのを使わないで、自分で選んでこれにした。その単語帳はまだ難しいと、周りに馬鹿にされたこともあったっけ。それでもこれが良かった。お守りがわりに今でも持ち歩いている。
 まあ、でも、落ちちゃったけど。
 去年、やっぱり授業を抜け出して徘徊した先の、大学の近くにある小さい本屋にもちゃんと一冊あった。私はそれが何となく嬉しいような、悔しいような気持ちになって、平積みされていた、高校で買わされたあの単語帳の上にどんっと置いて帰った。

 珍しく授業を一コマ乗り切ると、ひとつ開けた隣の席からの視線に気づいた。
「あの!」
 見た目は可愛い、ふわふわした女の子なのに、発声されたのは男の声で一瞬脳がバグる。
「その単語帳持っているの、珍しいですね?」
 そんな私を気に留めず、彼女(もしくは彼)は続ける。
「同じの、高校のとき使ってたんですよ! ちょうど、大学を見学に来たときに本屋で買ったんです。一冊しかなくて、その下にあったのが別のだったから変だなあって思ってたけど、やっぱり……」
 にっこり笑って言った。
「この単語帳のおかげで、ここまで来れちゃいました!」
「え?」
 そうか、「来れちゃった」なのか——。
 あの日、私が本屋で平積みにした単語帳でここに来たらしい。

「大学生になったら、我慢しないって決めていたんです!」
 彼だったし、彼女だった。戸籍上は男だし、性自認も男。だけど、いわく、「女の子だったらよかったなー。女の子のつもりで生きてるほうが楽しい」。
「あの日、これをいちばん上にして行ったのをたまたま見ていて……。だから、ありがとうございます!」
 なんだか不思議だった。自分を励みに勉強していた人がいたこと。そして、今まさに夢を叶えていること。
 私の夢は? 本当の気持ちは?
 ——本当は、本気で勉強したい。
 今は無理でも、一年、二年、他の人より時間がかかっても、本当はもっと勉強がしたい。自分の好きな英語を——。
「私の夢も、叶うかな?」
「叶う! 叶いますよ」
 実は去年、図書館でコソコソと英文学の本を読み、「わからない」と諦めたのだった。今度は堂々とやってみよう。

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