『嵐を呼ぶレース参戦記』(復刻版)第一話「嵐を呼ぶプロローグ」
◇復刻にあたり説明編◇
この記事は2004年に公開したものです。当時のノリをお楽しみいただくべく、あまり手を加えずにアップします。
当時の私はドライビングシミュレーションゲーム「グランツーリスモ3」にドハマりしており、実車レースにも興味津々なお年頃でした。
そんなとき、車好きの友人たちが持ち掛けてきたのが、割り勘で軽自動車を買って、耐久レースに出ないか? という魅力的なお誘いでした。
さてさて、どんな物語が待っているのでしょう。
これは私がまだ将棋に出会う前のお話です。。。
◇きっかけ編◇
2004年、GWを間近に控えたある日。
私の携帯がTruthのメロディを奏でた。誰からの電話からはすぐに分かった。
この着信音を鳴らすことが出来る人物はただ一人。
私の大学時代からの友人にして、カートのライバル『kyu氏』である。
電話に出た私にkyu氏は衝撃的な提案を持ちかけてきた。
彼の話は、要約するとこうである。
「中古の軽自動車をワリカンで買って、みんなで耐久レースに出るぞ」
「出るぞって、私も…なのか?」
「もちろん(どきっぱり)」
ついに…、ついに時が来たということか。
“自称”嵐を呼ぶレーサーが、本当にレーサーになる時が…。
例えば、私が18歳で免許を取って以来、マニュアル車に乗ったことがないことや、グランツーリスモは上手くても、実車での経験がまるでないことは、気にしてはいけない。
その辺は根性でどうにかなるのだ!!(注:ならない)
◇登場人物紹介◇
私(直江雨続)
ご存知“嵐を呼ぶレーサー”。
グランツーリスモだったらメンバーのなかで一番速い。実車でのレース経験はゼロ。
マイカーも持っていないので、年に数回、レンタカーを運転する程度。
それなのに、なぜか三顧の礼で迎えられ(?)この世界へ足を踏み入れてしまった。
kyu氏
大学時代からの友人。私のカートのライバル。
愛車インプレッサを駆り、何度もサーキット走行を経験。
カートでももしかしたら私より速いかもしれないと言えないこともないと書くことにやぶさかではない。
T氏
kyu氏の先輩。20歳で免許を取り、運転暦8年。その間4回事故って2台の車を廃車に追い込んでいるのだが、なぜかゴールド免許を持っている凄い人。
現在の愛車はMR2(AW11)。経験も腕もkyu氏より上。
E氏
kyu氏の先輩。愛車はCR-X。はっきり言って凄腕。日光最速戦にも出場していて、めちゃめちゃ速い。
◇車購入編◇
2004年5月4日。
私は米沢にて「上杉まつり」観光の真っ最中。
普段の貧乏生活からは考えられないくらいに豪華な昼食、米沢牛のステーキを食べていたところ、kyu氏からメールが届いた。
『アルトワークスゲット』
ふむ、ネットオークションで手ごろなのを見つけた、と言っていたが、どうやら無事落札できたらしい。
メールを返信。
『おつかれさま~♪』
そうなのだ、私はこの段階で何もしていない。単に果報を待っていただけである。
というのも、今回の企画は先に紹介した、私、kyu氏、T氏、E氏の4名によるものである。
耐久レースも、もちろん4人で交代でマシンに乗って走るのである。
んで、この中で、私の立場はとっても弱い(笑)
レースやサーキット走行の経験豊富、百戦錬磨の3人に比べ、私は正真正銘の初心者である。
余計な口は挟まず、財源の一端を担うことに徹すると最初から決めていたのである。
なにしろとるべき戦略は壮大にして華麗な“ケチケチワリカン作戦”なのだ。
今回のコンセプトは『いかにお安くレースを楽しむか』である。
とりあえず、車の購入やその他もろもろの予算は20万円。一人当たり5万である。
んで、ネットオークションでの落札価格は13万円。
米沢にいた私を蚊帳の外に置き、彼ら3人は、即日車を受け取りに行き、その足で早速乗車テスト。
なかなかの好感触であることを伝えてきた。
さて、ではここで、我々のレース車両となるアルトワークスについての情報を紹介しよう。
形式 E-CN21S 平成三年式(2004年当時で13年前の車ってことである)
駆動方式 FF
トランスミッション 5MT
原動機 F6A(水冷直列3気筒SOHCターボ)
最高出力 61 ps / 6000 rpm
最大トルク 9.2 kgm / 3500 rpm
パワーウェイトレシオ 10.33 kg/ps
燃料消費率(10モード走行) 18 km/L
最小回転半径 4.6 m
車重 630kg
このマシンに最初から付いてたもの
・フロントタワーバー
・アーシング
・ウルトラプラグコード
・イリジウムプラグ
・カヤバSRスペシャル(ショック)
・APEX2000Ti(ダウンサス)
・13インチフロントブレーキ(DOHCのを流用らしい)
・フロントスリットローター
・アクレフロントブレーキパッド
・プロジェクトμリアブレーキシュー
・APEX N1マフラー
・APEX キノコエアクリーナー
・よくわからん燃料コントローラ
・TRUST 水温計
・TRUST スピードメーター(馬力計れて、リミッターカットできるらしい)
・ブーストアップ ブースト圧1.0?
・ジムニーインタークーラー
・SONY MD
・KENWOOD スピーカー
なんか、良く分からないけど、元の持ち主のおかげで最初からそれなりに手が入っているらしい。
「耐久レースはもちろん、他のジムカーナ、走行会等でも楽しめる」ことが期待できるマシンだ。
◇スパルタ特訓編◇
さて、マシンはこれで手に入った。
となれば、この次にやるべきことはひとつである。
すなわち、私を鍛えるのだ。
私以外の3人については、まったく心配いらない。
実力は折り紙つきで、不安要素はゼロ。
そこにきて私である。
何度も言うが、私は自動車教習所以来マニュアル車に乗ったことがない。
それに、いくら速く走れたとしてもゲームはゲーム、グランツーリスモにはクラッチは無いのだ。
そんな素人を、実車の耐久レースでそこそこ走れるぐらいに、鍛えておかなければならないのだ。
んで、どうするかというと…
「じゃあ、とりあえず、ジムカーナに出て」
というkyu氏の一言により、いきなり実戦に放り出されることが決定。
5月30日、埼玉県の桶川サーキットにて行われる 『OSL四輪ジムかーな第2戦』に出場することになったのである。
もちろん、これがアルトワークスのデビュー戦でもある。
そして…
「あと、6月4日の桶川走行会も出て」
というkyu氏の一言により、いきなり走行会( セカンドステージ)に放り出されることも決定。
「それと6月20日のしのい走行会にも出て」
というkyu氏の一言により、またまた走行会に放り出されることが決定。
なんと3週間の間に3度もサーキット走行である。
果たして大丈夫なのだろうか…??
◇ファーストコンタクト編◇
5月23日、ジムカーナまで1週間というところでようやく私はアルトワークスと対面を果たした。
T氏が運転し、私の元に運んできてくれたのである。
実は私がこのアルトの実物を見るのもこれがはじめてだった。
なにしろ、8日以降、色々あってこの日までアルトに会えなかったのだ。
本来なら、もっと前からアルトに乗って練習するはずだったのだが、結局私に与えられる時間はたった1週間となってしまったのである。
ちなみにこの日はkyu氏のインプレッサも一緒。
んで、そのまま桶川サーキットに行って、ジムカーナの参加申し込みをしてこよう、ということになった。
そこまで運転するのは、もちろん私。
公道を走ることも、今の私にとっては大切な練習だ。
大事なのは、簡単な作業の堅実な積み重ねなのである。
早速助手席にkyu氏、後部座席にT氏を乗せ、私は運転席に座った。
初めて乗ったアルトワークス。車内の匂い、シートの座り心地、ハンドルを握った感触。
すべてが新鮮、すべてが感動的。
なにしろアルトワークスといえば「GT3」にも登場し、ダイハツのミラと双璧をなす、軽スポーツの代表格。
ゲームでは軽自動車最強の名をほしいままにする、名車中の名車である。
そんなアルトワークスのハンドルを、今私が握っているのである。
「いや~、緊張するなぁ」
妙なうれしさに、顔が思わずほころんでしまう。
「じゃあ、桶川までナビするから、安全運転でお願い」
とkyu氏。
「気をつけてね」
とT氏。
「大丈夫、制限速度は守るよ」
なんてなことを言いつつ、早速エンジンをかけ、ギアをバックに入れる。
軽くアクセルを踏んで回転数を上げると、水冷直列3気筒SOHCターボの名機F6Aが軽快にエンジン音を響かせてくれる。
「おおっ、いい感じじゃないの」
私は、慎重の上に慎重を重ね、ゆっくりとクラッチを離す。
ガクガクガク、ガッコン…。
「あれ?」
エンストである。
アルトワークスは1mほど後退して止まってしまった。
以来、うんともすんとも言わない。
「………」
「………」
「………」
車内にはたっぷり3人分の沈黙。
私が呆然と固まっていると、kyu氏が半ば呆れつつ一言。
「とりあえず、エンジンかけて」
再びキーをまわしF6Aに火を入れる。
ギアはバックに入ったまま、もう一度アクセルと軽く踏み込み、クラッチを離す。
ガッコン、ガッコン、ガクガクガクガク…。
「あうあうあうあうあう」
車内、3人の頭が前後に揺れまくり。
スムーズな発進、とは3光年ほど離れまくった調子でアルトワークスがギクシャク後退。
それでもなんとか路地に出ることに成功。
「ふぃぃぃ~」
大きく息を吐く私、これで第一関門突破。次は前に進むレッスン。
今度はギアを一速に入れ、前進開始。
ガクガクガク…。
もはや何も言うまい。
狭い路地を推定時速4キロで駆け抜け、これまた狭い直角右コーナーに差し掛かる。
「う、右折、ウィンカー、(ガッコン)あっ、クラッチ…、ぬぅ、そんなところに停めやがって、あっ、いかん、歩行者…、ぶ、ブレーキ、あれ?」
ガッコン。
またしてもエンスト。
しかも、曲がり角で立ち往生である。
kyu氏、ジト目で私を見やりつつ、クールに指示を出す。
「とりあえず、バックして」
「わ、わかった…」
エンジンをかけ、ギアをバックに入れ、アクセルを踏み、クラッチを離す。
ガクガクガク、ガッコン…。
2mほど後退し、またまたエンスト。
「………」
「………」
「………」
いっそう重苦しい沈黙に包まれる車内。
私は脂汗を滝のように流しつつ、いったい何回目か分からなくなったが、エンジンをかけ直し、1速にギアを変え、ゆ~っくりと曲がり角をクリア。
第二関門突破。
続いて私の前方に飛び込んできた光景、それは…。
歩行者、正確には10人ほどの女子高生の群れである。
「歩行者怖い~~」
車内に私の悲鳴が響く。
こいつら、狭い路地なのにアルトワークスのぎりぎりを平然と通り過ぎやがるのだ。
「やめてくれ~~」
(注:グランツーリスモには歩行者はいません)
汗だくになりつつ、推定時速3キロで歩行者障害クリア。
そして一方通行の狭い路地をようやく抜けて右折、信号があるちょっと大きな道にいよいよ乗り出した。
乗り出したらいきなり信号が赤。今度は信号障害である。
もちろん止まる。
私の後ろにも車が止まる。
背後から伝わる無言のプレッシャー。
信号が青に変わる。
アクセルを踏み、クラッチを離す。
ガクッ、ガッコン…。
「ぎゃー」
なんと、後ろに車がいるのにエンストをぶちかましてしまった。
背後からのプレッシャーが増加。
「このプレッシャー、シャアか?(違)」
私はほとんどパニック状態のままエンジンをかけ直し、アクセルを踏み…過ぎた。
ぶおーん! 名機F6Aが咆哮する。
んで、パニック状態のままクラッチを離す。
ぎゅおーん! 軽量コンパクトなアルトワークスが暴力的な加速を見せる。
「うぎゃー」
完全にパニックになり、あわててアクセルを緩める。
ガクガクガク…。
「2速に入れて」
kyu氏の指示が飛ぶ。
クラッチを踏み、今日初めての2速へギアチェンジ。
恐る恐るクラッチを離す。
ガクっ、と一瞬振動が来たが、アクセルを踏み込むと、アルトはようやくおとなしく走り出してくれた。
「ふぃぃぃ~」
安堵の息を吐き出したところで、kyu氏が思いがけない指示を出してきた。
「ハザードつけて、そこに停めて」
言われたとおりにすると…。
「じゃあ、ドライバー交代。桶川までは俺が運転するから」
解雇通告!
シーズン途中でシートを失ったF1ドライバーの気分で、私は悄然とマシンを降りた。
というか、わずか3周でエンジンブローした、F1モナコGPの佐藤琢磨の気持ちがなんとなく分かったような気がする。(ほんとか?)
こうして、私のアルトワークスとのファーストコンタクトは、時間にしておよそ5分に満たず、走行距離も多分200mくらいで終了。
ショックと、運転の重圧から開放された脱力状態で私が助手席に腰掛けると、後ろにいたT氏から声がかかった。
「がんばって練習しないとね」
そうなのである。
自分の今の腕前をこれでもか、ってくらいに再確認したところで、更なる重圧が私にのしかかってきた。
なんといっても、あと1週間でジムカーナの大会に出なくてはならないのだ。
そしてそこから3週間で3回のサーキット走行が待っている。
…大丈夫か私?
桶川までの道のり、スムーズにアルトワークスを走らせるkyu氏のドラテクに、私は改めて感嘆した。
というか、マニュアル車ってこんなに運転難しかったっけ?
ジムカーナの申込書を手に、私は改めて不安に襲われた。
ほんとに出場して大丈夫だろうか?
そして、kyu氏の運転で我々は桶川サーキットに到着したのである。
で、悩んだ末(実はぜんぜん悩んでいないが)、私は覚悟を決め、申込書を出してきた。
たとえ失敗してもそれはそれでネタになる。
嗚呼、我が人生ネタ人生。
これで1週間後の5月30日、私のジムカーナデビューが正式に決定したのである。
◇次回予告!◇
1週間、…たったの1週間。
まともにマニュアル車の運転すら出来ない状態から、どうやってジムカーナの大会に参加しようというのか。
無謀すぎる私の挑戦が今始まる!
果たして「GTで速いやつは実車でも速い」のか?
全国1千万人のグランツーリスモファンのために、直江雨続が激走する!
次回、『嵐を呼ぶレース参戦記』第二話
「嵐を呼ぶ大特訓」
ご期待ください!
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