二回目の投薬を終えて。

うちうちにこもって生活していたが、
同じ悩みを持っている人や、リアルが知りたい人のために発信してはどうだろう、というお声をいただくことが何度かあり、
もちろんまだ自分の中で整理はできていないので拙い文章にはなるのですが、今のリアルを少し書いてみようと思う。とりあえず今回は自分の現在と投薬について、


35歳、2023年5月に痛みから受診したところ7センチほどの大きさになる悪性の癌が見つかり、3つの病院で検査したところ「原発不明癌」と診断された。
原発不明癌とはその名の通り、癌の原発巣(肺がんとか、乳がんとか)がわからない癌だ。
原発巣がわからないので治療が確立しておらず、できることは「ここが原発巣の可能性が高い」というある種の賭けで治療することだった。

私の場合は今現在含め最初に痛みを感じたのが心臓に癒着した肥大した肺の一部だったので、「肺がん」という仮定で治療を始めている。

5月から検査を始めたが、7月の誕生日までは今までと変わらず生活したい、という私の願いで投薬は7月の誕生日が終わってからの開始になった。
現在二度目の投薬を終えたところである。
元々不安でパニックや躁鬱になることがあった私は主治医の案内で短期入院を伴う投薬を行っている。

現在は4種類の抗がん剤点滴で経過をみているのだが、点滴から1週間〜2週間は吐き気、倦怠感、高熱、手足の痺れ、唇が切れる、髪の毛がなくなる、そしてこれは私の場合かもしれないが辛さからくる鬱なのか、もうやめたい、死にたいとなんども泣いてしまった。

通常、投薬の翌日が一番辛いらしいのだが私の場合は3-6日目がひどいように思える。痛みも、このあたりが一番キツく何度か意識を落としたこともあった。

まだ二度目の投薬の結果はみれていないのだが、一度目の時は、レントゲンで肥大していた癌の影は少し小さくなっているようだった。主治医曰く、水が抜けた。といっていて、細胞自体はそこまで変化がないのだが肥大した部分が小さくなったことで圧迫感や痛みは減るだろう、とのことだった。(私の主治医は原発不明癌の経験があまりないそうで基本的に治療へ積極的ではない)
確かに頓服の痛み止めを飲む機会はかなり減ったように思える。飲む量が100だったとしたら50ぐらいには減ったと思う。腫瘍も投薬直前は10センチほどの大きさになっていたが7センチほどに戻っていた。

以前別のnoteでも書いたが、こんなことを言っては怒られるかもしれないが正直私自身としては「生きる」ことへの固執があまりなく、周りの人たちのアシストで現在治療を続けている状況で、今でも答えがでないまま毎日を過ごしている。
正直にいうと、死ぬことよりも痛みや今までの生活の質が下がり続けているくことが不安でいる。

この癌、私の状況だと、もう完治は難しく、がんを抑える、生きている時間を伸ばす、治療になるそうだ。
主治医からは原発が肺だった場合で残り2年だろう、と言われた。
2年と聞いた時、死ぬことよりもそれまでのあいだ動けるのはどれぐらいなんだろう?と考える。
この人生が終わることに後悔はないが、サヨナラを言うタイミングは自分が決められると勝手に思い込んでいた。
いつだって自分で選択してきた人生だと思い込んできたのに、一番大きなところは病気に決められてしまうのはなんだか癪である。

投薬は月に一回なので次は10月の頭になる。またそれまでに少しずつお話していけたらいいな、読んでくれてありがとうございます。

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