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フリースクール活動日記 2024/06/21-神代植物公園

 さて。一昨日僕は深大寺にて聲明を聞いてきた。そうしてそれにすっかり満足して、その翌日である昨日のこと。いつものように教室へと入り、荷物を置き学習も終え一息ついたところで、とあるメンバーから衝撃的な話を耳にした。僕がいた日にはすでにあらかた水族館で決まっていたというのだが、いったい何が起こったのか。この日に至っては、行き先は神代植物公園であると決定してしまっているというのだ。そこには、火曜日に「明日深大寺へ聲明を聞きに行ってくる」といった僕のことがどこにも反映されていないではないか。そもそも、神代植物公園案が通ったのは水族館へ行きたがっていたメンバーがその日だけは所用で都合がつかなかったことを哀れんだ皆が挙って賛成したからであるが、同じく「2日前に深大寺へ行っていた」僕に対する配慮はそのどこからも見出すことはできない。そもそもそのことを一番最初に思い出したレイセンですら、会議が終わってから気が付いたというのであるからもうだめだ。
 けれども意見は多勢に無勢。最終的には僕たちしながわ水族館グループ全員がどうとでもなれと多数決を放り出したため、神代植物公園へと決定してしまった。そうして歩いて向かえとの密命が僕に下り、それを受諾しながらも「場合によってはバスで向かう」と明言し、家へと帰った。
 その次の日、当日。朝起きた僕はしばらく呆然自失の状態であった。無理もない。家の周りは雨に襲われ、天気予報も調布市は全て雨。雨雲レーダーでも調布市、特に深大寺のある北東部はずっと雨雲に覆われている。こんな中、神代植物公園へ行けというのか。そもそもしながわ水族館を皆が断った理由こそ、晴れの予報であるというのにわざわざ屋内へ行く意味はないといったからで、果たしてその言葉はこの天気を見ても変わるのだろうか。期待の目を携帯電話に向けるも、結局一度も予定変更の連絡が来ることはなく……と、なると。雨天決行という可能性しか、残されていなかった。
 仕方がない。皆は10時51分に神代植物公園に到着するという。ならばそれに合わせて動けばよい。10時に合羽を着て、傘を持って外へと出る。思ったよりも暑かったために合羽の上着を脱ぎ、リュックに入れる。野川沿いに行くことはなんとなく不安であったため、そこそこの距離を迂回し武蔵境通りに接続、神代植物公園へと向かう3㎞ほどのコースを選択した。
 しかしながら、僕は大失態をしでかした。家にあるいつもの靴を用いたのだが、よく考えるとこの靴は買ってからまだ一回も防水処置を施していない。現地に到着するころには、上半身は傘で、下半身は合羽で守られているため水滴一つ肌に付いていないが、靴だけは既にその用途を果たすことができなくなってしまっていた。こんなこともあろうかと、靴下の替えは持ってきた。しかしながら、「靴下の替えだけあったところで、靴の替えがなければどうにもならないだろう」
 神代植物公園にて10分以上雨にもまけず風にもまけずに皆の到着を待ち、合流した時最初に言われたのがその台詞であった。
 この日の参加者は14名。昨年に引き続きベトナムから帰国した京秋に加え、カッパくんやチーくんまでもが久しぶりに参加した。この面子であれば、昨年のように組体操などもできるだろう。それを、当初の僕は期待していた。

昨年の錚々たる面子
いまはもう、半分がいない……

 しかしながらこの天気。到底実現は無理だろう。そう諦め、ひたすらに園内を歩き続ける。目的地は決まっていない。東屋があれば、そこがひとまずの目的地だ。

 そのように場所を転々としていくうちに、当初の目的であったアジサイの多く植わった場所へとたどり着いた。アジサイ園ではないけれど、もはや底にたどり着く気力すら残っていない僕たちにとっては道端のアジサイですら心を和ませるに足るものだった。
 そうして各地を回ることもなくほぼ一直線にバラ園へとたどり着いた僕たちは、そこのテラスにて一息ついた。さっそくχαοσと京秋が荷物を置いて旅に出る。そんな彼らを横目に椅子に座って休息をとっていた僕たちだが、やはり動かないでいることによって冷えが襲ってくる。仕方がなく、χαοσと京秋の荷物を見捨てて、荷物番を置くこともなく皆で大温室を目指すことになった。なぜなら、そこは屋内だから。

ところで、このバラ園にてイギリスの品種「プリンセス・チチブ」なるものを見つけたのだが、
これは秩父宮の妃もしくは息女に由来するものなのだろうか
しかしながら1971年のものであり、そのころにはほとんどの皇族は皇籍離脱しているはずだが

 そうして、最終的には皆がそこへと向かった。やはり雨の中ぽつんと壁があり、屋根がある場所は羨望の対象となるのだろう。もちろん、皆は温室へ入りはしてもそこまでしげしげと植物を眺めることはしない。ここへ来た一番の目的は暖を取ること(もう6月だというのに、おかしなはなしだ)であり、植物を見ることは2の次であった。
 そんな中でも、皆が楽しみにしていた植物があった。「ヒスイカズラ」だ。一部の界隈では「蒼い彼岸花」などと呼ばれているが、それを見たのは昨年度の5月の事。当然、1月後の今ではどこにも花はなかった。
 そのことを悲しみつつも、カッパ君ら僕たちと同行していたメンバーは先へと進んでいく。しかしながら、僕やヨッシーには諦めきれなかった。名残惜し気にそのツタのみのヒスイカズラを眺めていたとき、その様子を観察していたのだろうか、1人の管理人と思しき人物が声をかけてきた。曰く、ヒスイカズラが見たいかい?と……
 もちろん、見たいに決まっているとも。そうヨッシーが答えると、満足げにうなずいたその人は僕たちを外れのほうへと案内した。そこから身を乗り出してみてみると、あら不思議。木々の影に隠れるようにして、不思議な青い花が咲いているではないか。

 たった1輪(本当にこの表現でよいのだろうか)のヒスイカズラが、未だに満開(この表現も正しいのか?)を保って咲いている。なんと素晴らしい。そう思って感謝の念を一身に宿して振り向くと、その人は別のことも教えてくれた。曰く、ヒスイカズラの実もあるよと。花と実の両方を見られるとは、なんと喜ばしいことか!そのことをカッパくんたちに自慢しようと思い、急いでヨッシーと共に彼らを追った。
 そこから、またしばらく後のこと。荷物を回収してきたχαοσたちと合流し、やがて全員が大温室内の休憩スペースへと合流、雨で食事をすることのできる場所がここしかなかったことからここで思い思いに時間を過ごし、弁当を広げる。けれども、ここだって安全というわけではない。換気のために一部のドアは開いて雨の音が聞こえるし、ある場所では雨漏りしていることに気が付かず真下に座ったメンバーがいたり。
 けれどもそんな平和も長くは続かない。こから深大寺までは再び歩かなければならないのだ。つまり、また雨の中へと出なければならない。幸い、先ほどよりも雨脚が強くなっているといったことはなかった。途中いかにも足を滑らせてしまいそうな坂や階段があったものの、誰一人として転ぶことなく深大寺の参道までたどり着くことができた(同じく雨であった昨年度は、この辺りで足を滑らせて腰を激しく強打したメンバーがいた。詳しくは、その時の記事を見てもらえればわかると思うが……)。これも幸運といわねばならないだろう。
 昨年とは違い、足を滑らせることはなかった。その幸運に感謝しながら蕎麦を購入する。皆はその間に先へと進んでしまったため、もし合流できなければ帰ろうとも思っていたのだが、幸い合流に成功。「むさし野深大寺窯」という店に入る。

 ここは、僕たち歴史の浅いメンバー(とはいっても1,2年はいるが)にとっては初めてきた場所であり、3年前からこのフリースクールにいたメンバーにとっては久しぶりに来る場所だ。活動の時間が木曜日から金曜日に移ったことにより、来ることができるようになった。
 その店に入ったはいい。しかしながら、なにを描くべきか考えていなかったため、他のメンバーからかなりの遅れをとることになってしまった。僕が湯飲みを選んだ時には、すでに皆は筆を執っている。本物の鳩サブレよりも「鳩サブレらしい」ものを作ろうとするヨッシーや、より美しくしようと筆を動かしフクロウを塗るリクトン。

 彼らに負けじと、席に着いた時。ふと思いついたことをやってみようと思い立った。「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」と、書く。描くのではない。書くのだ。丁度隣ではχαοσが「天上天下唯我独尊」と書こうとしている。仏教で足並みをそろえてはどうだろう。
 しかしながら、その湯飲みの直径は7㎝、円周23㎝の高さ8.5㎝。全てを描くほどの大きさは、ない。なぜならば上から絵の具で色を塗らなければ焼き上げたときに残らないためで……
 何度も挑戦し、何度も敗れる。そうしてようやく最終的な設計が完成した。「色即是空」、これのみにする。そのかわりに反対側の各所に「オーリクラリア」、「ドリクラリア」、「システィジアン」、「ペンタクリノイド」の文字を記入。湯飲みの底には「ウミユリ」の文字を配置する。これで、どうだ。周りでは「天上天下」の文字を書くことしかできなかったχαοσやヨッシー、レイセン、ボートさんらが僕の奇人変人ぶりを示す最小の湯飲みだなどと口にし笑っているが、それがなんだ。皆から遅れること20分ほどにもなったであろうか、ついに完成させ、「らくやき」で窯にて焼かれる。なお、色の薄さが原因か「オーリクラリア~ペンタクリノイド」はかき消えてしまっていたが。

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