フリースクール活動日記 2024/04/05-小金井
新学期最初の活動で、なおかつ毎週木曜だった「お出かけ探検活動」が金曜日に変更されて最初の活動でもあるこの日、行き先は小金井公園と決定された。丁度近所の桜も咲き始め、当日ごろには満開であろうと予想されたためである。
そういうわけで半分は小金井公園の桜を見るため、また半分は前々から提案だけはされていた「江戸東京たてもの園」へと行くためである。前日の時点で「フリースクールの教師がその小・中・高校生を連れてくる」教育活動として認められるか打診をしていたそうなのだが、結果が出ぬまま当日を迎えることとなった。
さて。ここでイマンモ達が事前に打診をしていたとき、僕も現地について多少調べていたのだが、そこでとある文字に目を止めた。それは江戸東京たてもの園に展示されているものなのだが、「高橋是清」という名前が何やら覚えがあるような気がしてしばらく脳裏をうろついていたところ、ようやくそれが誰であったかの確認が取れた。僕の記憶が正しければ、それは2・26で殺された当時の大臣ではなかっただろうか。この時僕の記憶の中では「渡辺錠太郎」などの人名が様々にうろついていたのだが、そのうちにようやく2・26についての情報が浮かび上がってきた。吉村昭などにもたびたび登場するし、宮部みゆきの「蒲生邸事件」の舞台でもある。また、作者が誰であったかとっさに思い出せないのであるが「吉里吉里人」という小説にも
「下士官兵士に告ぐ。今からでも遅くないから原隊へ帰れ。お前たちの家族はお前たちが国賊となるので皆泣いておるぞ」というような趣旨の電文のパロディが登場していたように思う。これらの小説の記憶を見つけた端から引きずり出してきてなんとか事件の概要を思い出すことに成功した。
そして思った。きっと龍角散なども事前調査によって高橋是清邸の存在を知っているだろう。ほかにも、2・26について知っているのは少なくともヨッシー、御嬢、レイセンなどであろうから、それだけの人数が集まれば龍角散が率先して「2・26事件ごっこ」が高橋是清邸にて始まるのは必至。もっとも5・15とは違い決まった台詞もないことから単なる大乱闘になってしまうだろう、というところまでは考えていた。よって、場合によっては公園にて乱闘の続きが始まることも想定して動きやすい服装を準備することもした。ようするに、この日のためにいろいろと準備をしてきたわけだ。バッグの中には吉村昭の本と「蒲生邸事件」を忍ばせ、集合場所では高橋是清について滔々と語る。こうして皆をたきつけるその一方で、いつでも逃げ出せるようバッグは可能な限り軽くする。これらの努力が実ったかどうかはのちのち記述するが、今ここで言えることは、何もかも思い通りにはいかなかったということ。
まず、武蔵小金井駅へと全員集合したのが10時30分。この時点で既に龍角散、ヨッシーが参加しないことが表明されており、龍角散をたきつけるというその考えは早くも破綻を迎えた。
その腹いせとして皆に目的地まで歩く提案をして、これは一部の人には受け入れられた。脚を骨折しているイマンモを含め半分ほどはバスに乗り、残りのメンバーで金の心配をしていたりする面子は歩いていくことになった。それの成功を受けて、さらに目的地まで走る案を打ち出したものの皆からの冷たい視線を一身に浴びてそれはまたしても頓挫した。おまけになぜか皆に背中を押され、僕だけ走っていくことになってしまったのだがそこのところは割愛。
その後現地にてバス組と合流、さしたる騒ぎもなくそのまま園内へと進入する。
さっそく皆がばらけて行動しようとしたのだが、それをイマンモ達が止める。曰く、これから行く「三井八郎右衛門邸」に入るには「引率」の札を持ったスタッフが付き添っていなければならないとのこと。その「引率」はイマンモ、レイセン、ボートさんのみ。さすがに一気にメンバー総計15名が突入するのは迷惑だろうと配慮され、まず最初にレイセン率いる第一グループが入り、一分後にイマンモ率いる第二グループが、次いでボートさんの第三グループが入ってゆく。
そこは和洋折衷でありながらも両方の良さを活かしきっているような空間で、こんな家に住んでみたいと思える豪邸であった。階段の天井が低いのもまたご愛敬。階段の手すりにも細工が施してあり、とてもよい邸宅だと思った。だが、仏間のすぐ手前にシャンデリアを取り付けるというセンスには賛同できない。せっかく仏壇にて線香をあげ、気持ちを整えて出てきたとき、目の前に豪勢なシャンデリアがあったのであればその気分が溶け出してしまうことは必至だろう。
その後、ときわ台写真館、デ・ラランデ邸などを順繰りに回ってゆく。ときわ台写真館というのは、その名の通りときわ台にあった写真館を再現した建造物である。このことから集合場所をときわ台と間違えてしまった経験を皆に茶化され、若干不機嫌なまま数十分を過ごす。僕は、1度揶揄われただけでもそこそこの期間を根にもってすごす。そんななかで御嬢やniconicoなどが傘を幾度となく忘れることになれば、それを揶揄いに行くのは当然の帰結といえよう。
江戸時代の農民の家なども見に行く。高床式で、床は板張り。おそらくはそこそこ裕福な農家のものだったのだろう。ここで不意に遠野物語が始まることになり、次第にその内容は「座敷童」だとわかるもその場にいて遠野物語を読んだことのある人は3人。「座敷童」をやるとするなら座敷童2人組、残った娘、遭遇した農家など少なく見積もっても5人は必要(一人二役であれば3人でもできるが)だということが判明し、
「どこへからきた」
「フリースクール村のイマンモさん家から」
「どこへいく」
「となり村のレイセン家に」などやったところで断念することとなる。
そうしてカッパくんがやってきた。寝坊したのか集合場所に姿を見せなかった彼は、ひどく慌ててこちらへ向かおうとした。もっとも、一番に思い浮かべる交通手段である電車は使わずに。彼の家はそう交通の便が悪いところではない。JR線の駅が最寄り駅であるため1時間もかからずに来ることができたであろう。だが彼はそうはしなかった。彼は常人が一番考え付かないであろう方法(もっとも、このフリースクールにいるのは大半が奇人変人猿人超人であり常人が1人もいないように感じるのは僕だけであろうか)でこちらまでやってきた。さすがに電車を使った場合よりかは時間をかけていたが。彼は1時間以上家から走り続けてきたのだ。
彼と合流後、本命たる高橋是清邸へと向かう。龍角散はいないが、これまでで高橋是清についての情報をばらまくことには成功している。このまま行けばきっと誰かが、誰かに襲い掛かって乱闘を起こしてくれるだろう。そう期待してはいたものの、まさか自分が真っ先にまきこまれるとは夢にも思っていなかったことこそ、今回の敗因ではなかろうか。被害者となってしまってからの行動が呆れるしかないものであったのもこれを裏付けている。やはり、どんな状況にも対応できるよう計画はもっと早く、もっと詳しく練るべきであろう。
高橋是清の死んだ部屋にて大乱闘が巻き起こり、それを方法の体で逃げ出した後は昼食を摂ることとなる。
「そこの人!ちょっと一緒に来てもらってもいいかな?」と任意同行を求めて万世橋交番までイマンモを引っ張っていった後にその近辺にあるベンチをみつくろう。その付近には復元縄文住居なるものが存在しており、それを眺めながら食事をしている最中、不意にとある話が始まった。
何が原因であのような話になったのかはわからないが、ふと歌の話が始まった。原因は、たしかカラオケの話題が御嬢から出たためであったように思う。そこから誰が言い出したのかは知れないが「フリースクールの校歌を作ろう」という話になった。そしてまず手始めに、皆が知っている歌を代入しようということになったのである。
そんなことをいわれても、僕が知っている歌は少ない。そのレパートリーが両親から受け継いだものであるために一部のメンバーからは非情にも「昭和野郎」などと呼ばれる始末。このときにぱっと思いついた曲も二つのみ。一つは「与作」。北島三郎の名歌であるが、なぜか皆にこれを聞かせると笑いだしてしまう始末。もう一つが「悪魔の手毬唄」に登場する歌。
「うちの裏のせんざいに すずめが三匹とまって 一番目の雀の言うことにゃ」などと続いていく数え歌だ。この二つしか出せなかった僕は可笑しいだろうか?いいや、そんなことはない。
しかしこのとき皆は僕たちを止めることをしなかった。皆遊ぶのに夢中であった。このことが原因で、皆の先頭を切って歩いているイマンモと僕が「与作」を歌いだす羽目になるのだが、これはだれの責任にも問うことはできないだろう。
そのまま与作を歌いながら再現された街を練り歩き、「子宝湯」と書かれた公衆浴場の中へと足を踏み入れる。そこは男湯女湯両方あるのだが、その両者の間を仕切る壁が意外に低いことに誰かが気が付き……あとは、お察しの通り。
そうしていろいろな建物を見た後はすぐに出口へと向かう。このあとは公園にて思う存分遊び、この1週間が雨ばかりで殆ど外出できなかったうっ憤を晴らすのだ。
その前に土産物屋へとより、なにかいいものが売られていないか確かめた際にこちらの古地図が目に留まり、その面白さと教育に使えるであろう内容、そして値段の安さにイマンモが購入を決意。これからフリースクールの教室内にはこれが置かれることとなる……破かないでおいてほしい、いくら千円ちょっとであったとはいえ。
その後、附属の資料室にて東京市などの古地図(?)を見るも、小金井はどこにも載っていなかった。であるのになぜこんな物を置いているのだろうと疑問に思い、ふと顔を上げたとき。たしか資料室には僕やCOTAさん、emmanmo以外にイマンモたち幾人かがいたはずなのだが、いまでは僕とemmanmoしか残っていない。小学生のころであれば土産物屋にいるのであろうと楽観視していたであろうが、今の僕はそんなに柔弱ではない。音を立てないように立ち上がって玄関口まで出てみて見えたものは、いままさにこちらのほうへ目をちらちらと向けながら遠ざかっていく皆の姿であった。とっさにemmanmoにも声をかけたのだが、今思えばそれはする必要がなかったかもしれない。おそらくしばらく気が付かなかったであろうし、皆は「邪魔をしないように」置いて行ってくれたのであるし、僕もそのような判断をすればよかったと今では思っている……おいていかれたときの顔を見るのが一番面白いのかもしれないけれども。
その後はしばらく遊具で遊んだのだが、いまだに春休みが継続していることもあって人の数は非常に多い。また雨が直前まで降っていたことも相まって地面は泥だらけ。ここに誤って転倒すれば一昨年12月初頭の悲劇の再来である。しばらく経って僕たちは泣く泣くこの地を後にした。
そうしてたどり着いたのがソリゲレンデ。人工芝の急斜面をソリでさっそうと滑り落ちるのはさぞ気持ちがよいだろう。ただ、残念なことにそりを貸し出してくれる場所は公園の反対側。今そちらに戻っている時間などどこにもない。そんななか、ある一人の勇者がゲレンデへと飛び出す。彼はそのまま目を固くつぶると体を傾け、斜面を転がり落ちていった。
彼はいかにも楽しげであった。とはいえ、同じことをやっては近くでご照覧されているお子さんたちに悪影響をもたらしてしまう。それを避けるためにもここは一度離れるのが得策だろう。そう考えて僕たちはとなりの草地に移動した。
ここで滑ってくれるものだとばかり僕は思っていたのだが、皆若干濡れていたり湿っている草地を前にして怖気づいている様子。ばかな。そんな真似でどうする。皆いつもならば雄たけびを上げて突っ込んでいくだろうに。いつまでたっても転がろうとしない皆に業を煮やしたボートさんと僕は、率先して転がり落ちていった。
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