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旅行記録 2023/08/07-宮島

 翌日、ここをチェックアウトする。目的地は、宮島。厳島神社を見て、あなご飯で昼食を摂り、広島へ渡る。そこから新幹線にて京都の祖父母の家へと泊めて貰うのだ。そうして京都へいる間は寂光院へも行く。寂光院、厳島神社とくればわかる人もいるだろうが平家物語関係だ。できれば六波羅蜜寺や祇園寺にも寄りたかったのだが時間がないため今回は行かない。ただ、京都には毎年行っているので来年こそはそういった所を巡りたい。
 8月8日。山口最終日。起床はいつもどおりの6時。最終日ということで着替えた後、朝食を摂りに行く。そうして部屋に戻ると布団などはもうすっかり片付けられているのが目に入る。荷物をまとめ、よく使うものは上の方に入れて、9時。フロントに集合した。バスで岩国駅まで送迎して貰い、
そのまま電車で2駅。「宮島口」を目指す。
 やがて来た電車に乗って到着したは良いものの、あまりに手荷物が多いためにコインロッカーに預けたい。だが、どこにあるかさっぱりわからない。小雨がぱらぱらと降る中あちこち探し回って無事発見。フェリー乗り場への行き方がわからないといったアクシデントもあったが、なんとか満員御礼のフェリーの屋根の下へと入り込むことが出来た。ざっと数えても100名以上はいるだろう。できれば厳島神社の大鳥居を望見したいところであったが、あいにくの雨で視界が遮られて何も見ることが出来なかった。
 やがて到着した宮島のフェリー乗り場にはもっと人がいて、人混みに巻き込まれて気分の悪くなった僕が座り込んでいる間に、どやどやと四方八方に散っていった。勿論その大半は右手に。厳島神社に向けて歩いて行く。
 しばらくした後人混みを脱け、体調も良くなった。先ほどから時間もたっているため厳島神社へと向かう道は空いている―どちらかといえば空いているといったところだが―のだ。それでも道を辿っていくのは至難の業なので砂浜へと降りた。丁度潮が引き気味なので、大鳥居の足下付近まで歩いて行けるのだ。砂浜途中の蟹の死骸や御神域にもかかわらず―いちおう大鳥居には入っていないと言うことになっているので、大丈夫だったのか―バイクのヘルメットがうち捨てられていたりもしたが、大鳥居へと向かう道は人がいない。道も狭く2,30cmほどの幅。そして右は海。左はフジツボがこびりついた岩。足下にもところどころフジツボや巻き貝などが転がっている。
 大鳥居までの道は先ほどと殆ど変わっていなかった。もしかするとこの後干潮になって道が出来るかもしれないと思っていた僕は落胆したが、砂浜の辺りから大鳥居を眺めて反対側へ渡った。僕たちが辿ってきた道程は1便後のフェリーの乗客が合流したのか、ものすごい数になっていた。戻っても参拝が出来ないからと反対側に渡ってそちらから入るつもりだったのだ。
 ところが、大失態。反対側には入口などない。あの大鳥居を横目に入るのが唯一の道だったのだ。また雨が降り始め、湿気によって耐えきれない暑さになっていく。どこか冷房の効いた場所は……と見渡して元々から行く予定ではあった「宝物殿」に予定を早めて駆け込んだ。
 なかには鎧や刀剣などが多く陳列してあったが、最も興味を引かれたのは奉納されているものの中では「芸術」に関係するものだった。奉納されるほどの刀剣も「芸術」というくくりには入ってしまうが、そういったものではなく「芸能」つまり能・狂言などに関わるものだ。能の衣装、琵琶や尺八などの楽器類が面白い。意外にも想像していた形とは異なることに驚いた。
 そこから父が昼食の場所を目指す。混み合うかもしれないため先に行くという判断だそうだが、幸いなことに人影は全く持って見えない。よし!と思って駆け寄ってみるとそこには「本日休業」の4文字。
 肩を落として来た道を戻る僕等に、余分な体力気力は最早残っていない。再度厳島神社へと参拝する気力が失われ、日向ぼっこをしている鹿達を見て心を安らげながら、フェリー乗り場へと歩いて行く。

 途中、名残惜しく神社の方を振り返って驚いた。僕たちが行きしに通っていった砂浜が最早海の底だ。けっして潮が引かないのは満潮に移り変わろうとしているからかだったのか。もしあそこで拝殿へ入っていたのなら、もっと海に没した姿を見ることが出来たかもしれない。非常に残念だ。

干潮時の大鳥居
フェリーに乗るため急いでいたころの大鳥居

 フェリー乗り場に戻る。平清盛像の前を通って入ると、丁度宮島口行きのフェリーが2分後に発進する。もはやここにいる意味は無い。昼食を摂ることが出来なかったため、第二目標として本島へと戻って別の穴子屋へと向かわなければならないのだ。時間が遅くなればなるほど、人気店であるそこには行列が出来るだろう。
 だが、一足遅かった……僕たちが船の着岸を待って駆けつけてみると、そこは満席。その上10数人の行列が出来ている。もはや並んでも予定時刻に食事を終えることは出来ないだろう。そのうえここ以外に飲食店の場所を知っているわけでもない。見かける場所は大抵が満席の上予約がいっぱい。もうここで昼食を摂ることは不可能。
 そう判断して、駅のコインロッカーから荷物を取り出し電車に乗った。ここはかなり有名な観光地であるため食事処はおそらく1つも開いていない。ならば、いっそ予定を3時間早めて広島へ出て、そこで昼食を摂ろう。空いた時間はジュンク堂で本を読めばいい。
 電車は柳井港まで行ったときが嘘のような混み具合であったが、上手いこと空いている席を見つけて座った。
 関東から関西に来て1番驚いたことは、電車の席だと思う。関東のように横一列なのではなく大半の席が新幹線などのように配置されているのだ。こんな席を持った列車は、幾つかの特急ぐらいしか知らない。
 このおかげで席は格段に増えているのだろうが、そのぶん席と席との間に人が1人立つだけで通行不能になってしまう。混んでいる列車ならばいっそのこと車両の前後の通路にも席を据えるべきだろう。別の車両に行くための扉があるが、そこさえ避ければ車両全体で4席ほどは、少なくとも確保できるはずだ。
 そして、広島駅に着いた。ジュンク堂があるところへと、地下通路を使って真っ先に向かう。この最上階にレストランがあるというのが理由の1つ。もう1つは広島のビル群に出てしまうと方向がわからず帰れなくなってしまうだろうという印象を受けたからだが。
 ジュンク堂にて1時間ほど立ち読みする。吉村昭の「関東大震災」を手にとって読み始めたのだが、思ったよりも時間とは早く過ぎ去っていく。あっという間に1時間が経過し、空腹感を覚えてきたところで昼食を摂る場所を決めるために立ち上がった。
 1階上の11階。昼食を何処で食べるか悩んでいたためとりあえず近いところから探していくことにした。残念なことに母はいま小麦・乳製品アレルギー疑惑が出ているため洋食・中華は基本的に食べることが出来ない。それ以外、出来れば和食、と探すと一件だけ見つけた。「しらす専門店」というらしい。
 母はそこでしらす定食。父は海鮮しらす丼と牡蠣フライの定食。僕は……「しらす盛り放題パスタ」というものを注文した。何故このネタの塊のようなものに手を出したかというとだ。それには理由がある。しばらく旅館や料亭で和食ばかり食べていた僕は無性にパスタが食べたくなった。けれども今の腹具合は4分目ほど。セットメニューを食べるのは正直辛い。と思って探していると単品メニューというものを見つけたため、「これだ!」と調子に乗っていたのだが、あいにくとそこにはパスタはこれしかなかった。が、興味があったので注文をしてみた。
 この時の僕の予想について言及しよう。この時僕は「しらす盛り放題パスタ」というものについてしらすを入れた笊が食卓に置かれ、そこから好きにパスタにのせて食うものだと思っていた。食べたいときに食べられるだけ食べるものだと。
 現実は非常だった。まず、若干少なく見えるパスタがやたら大きい皿に載って姿を現した。次に笊に大盛りのしらすを盛った店員が出てきて「もう無理と言うところでストップといって下さい」とこれまた大きいトングでしらすをパスタにかけながら言う。しかもやたらに早い。
 あ、す、ストップ!と言ったときには既にパスタはしらすに埋もれて見えなくなっていた。聞いたところによると、この店では最高で笊2杯分パスタにかけた猛者がいたという。ぼくには、そんなことはとてもとても……
 そうして目の前には、思った以上に盛られたしらす。これを全て食べることはかなり厳しい。しかし、こういった店では当然残すことは出来ない。仕方がない。これは最初に何も聞かなかった僕が悪い。
 必死になって食べた。食べた。父と母がいかにも美味しそうにそれぞれの食事を食べているときにも機械的に胃に送り続けた。確かにこのパスタは美味しかったけれども、次にこう言ったものを食べるときは最初の1かけのみで我慢しよう。そういえば、父からずっと「今度旅行に行くならば、わんこそばを食べよう」と言われているのだが、これにはどう対応すれば良いのだろうか。
 食後暫くジュンク堂にて本を読み、広島駅に行った。今回、祖父母の家に泊まるため手土産を持参するのだ。はやばやと土産用のもみじ饅頭を買い、「名物に美味いものなし」とは本当なのか―「究極超人あ~る」ではたわばさんに嵌められた松井先生が、いかにも不味そうに食べているが―妄想しながら間食を探す。父曰く「水曜どうでしょう」で出てきたという「しゃもじ牡蠣飯」、これを探すこと約30分。全く持って見つからない。あちこち探し回ったものの、見つからない。仕方がないのでそれはすっぱりあきらめ、宮島で食べることの出来なかったあなご飯―作っているところも同じ―を弁当として買う。おそらく道中食べることは出来ないだろう。少々量が多い。むしろこれも京都への手土産として持って行った方が良いにちがいない。
 新幹線へ乗る。これまでは京都と東京でしか乗ったことがなかったためかなり混んでいたのだが、今回広島から乗ってみると全く以て人がいない。おそらく人が多く乗ってくるのは新大阪、京都、名古屋、東京あたりだろう。実際新大阪辺りではかなりの人数が乗ってきたが、それまでは人が少なく広々としていて過ごしやすかった。
 京都駅に着いた。新幹線から降り電車を乗り換えようと急いでいると、ものすごい人混みに出くわした。その前で駅員が何名も集って何か叫んでいる。後から聞いてみると、その日琵琶湖で花火大会があったらしい。京都だから聞こえるはずがないのだが、その日の夜花火の音を耳にしたが、それが1回だけだったため幻聴だと言われても否定することはできない。
 祖父母の家に着いてからはあなご飯と美味しい焼き茄子を食べた。明日は寂光院と三千院―初めて聞いたときには「三千院帝」と聞こえてしまった―を目指す。もしも遅く起きてしまったのならばこの計画は御破算。人混みの中、大原を歩くはめになる。なるべく静かな時に行きたい。8時頃に歯を磨き、就寝した。
 ああ、それと。もみじ饅頭は名物ではあったもののとても美味かった。

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