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McQUEEN:モードの反逆児を観て

こんにちは!由岐です。
この間『McQUEEN:モードの反逆児』を観たんですけど、ちょっと自分の中で色んな気持ちが溢れ出てきて1人では抱えきれないので感想を残すことにします!
⚠️ガンガン映画の内容を書いていく予定なので、ネタバレが嫌な方は読まないことをおすすめします。

McQUEEN:モードの反逆児

この映画は2018年に後悔された、ブランド『Alexander McQUEEN』のデザイナーであるマックイーンの伝記ドキュメンタリー映画です。

ドキュメンタリー映画としての構成が上手だった気がする。と言っても映画構成について詳しくはないですが、周囲の人のインタビュー内容とマックイーン自身の当時の映像の繋ぎ方が上手で、またショーごとに章立てを分けているのが観ている側のわかりやすさに繋がってるな〜と感心した。(誰目線なの?)あと、当たり前かもしれないけど音楽が映画の雰囲気とバチッと合ってて、そうそうBGMの役割としての音楽はこういう使い方が最強だよ…!!と謎に音楽に対してもテンションが上がる。

私とMcQUEENとの出会い

まず「なんで観ようと思ったか」から話しますね!え、そんな最初から?話長くない?って感じですが、最初から話したいので話します!!!(強引よくない)

私がマックイーンを知ったきっかけは正直思い出せないんですけど、でもなんとなくカッコいいブランド名だな〜とは思ってて常に頭の片隅にありました。けど、なんかとっつきにくいというか、激しい系?モード?で私とは関わることがなさそうだな〜と思っていて。

けど、たぶんインスタで見かけた2023SSのバッグに一目惚れして、公式HPを見るように。

このバッグがめちゃかわいい…!!!とテンションが上がっているのが2/23。けど、この時は「いや、でもドクロ?スカル?は全然好きじゃないし…色が好みなだけだなーきっと」と可愛いって騒いでるわりに冷静でした。(ツイートもしている)

けど、何故かずっと頭から離れなくて。時間があると公式HPを見にいってしまう(なくても見てしまう)
で、そんなとき、あきやさんのこの記事を拝読しマックイーンの映画があることを知りました。

なるほど!なんでこんなにマックイーンが気になってるのかも知りたいし、とりあえず観るか!と見始めました。

McQUEEN:モードの反逆児

実際に映画を観たのが3/3。2/23から8日後には映画を観てるんですね、なんかスピード感があるな。

なんか…観終わったときにすぐに感想を言葉にすることが出来なくて、でも胸がいっぱいというか、頭の中で今まで隠してた引き出しをノックされた気がして、言葉にしたいけど出来なくて、とりあえず「観た」ということを記録しようと思ってツイートしたのがこれ。

マジでメモ。でも、この時はこれをツイートするだけでもいっぱいいっぱいで、この無機質なメモを残すことで私の今の気持ちに泥を塗る?ような気がしてログとして残すのも躊躇われたな。結局、後からまとめるときに必要だろうと思いツイートしたんだけど。今役に立ってるし当時の私Good Job!

McQUEENの映画を観て、言葉にならないながらに一番初めに出てきた感情は「わかる」で。出てきたというか、たぶん全面に「わかる」感じがあったんだけどそれを受け取りたくなかったというか、否定していた気がする。けど、マックイーンの考えや気持ちが手に取るように理解って、というか「その感じ私も感じたことあるよ」って言いたくなる。正直、リアル友人の悩みを聞いてるときに使ってる「わかる」以上に「わかる」気がする。もちろん映画として観る人に伝わりやすくわかりやすく作られているし、そもそも「伝記ドキュメンタリー」といっても他者の解釈で作り上げた「作品」なのだから、あの映画でマックイーンのすべてがわかるわけはないんだけど。

それでも「わかる」と感じてしまった自分に対して、「ヤバいな」の気持ちがあって。何がヤバいってマックイーンって正直ちょっと人から見たらモラルにかけるようなことをするじゃないですか?正気かよ…みたいな。
でも、その他人からバッシングされるようなことに対しても私は「わかる…私でもそうする…」と思ってしまっていて。それがヤバいなって。
例えば、1995年秋冬コレクションの『Highland Rape』は世論としては「あまりにも暴力的すぎる」と大バッシングを受けていて。けど、確かに暴力的なんだけどマックイーンの怒りからの表現であることは観て伝わってきたし、「女性に対する侮辱だ」という批判も女性である私は侮辱されたようには感じなかった。(けど、確かに過激なので今なら事前に連絡?というか通知?があっても良いとは思う)
あと、1997年秋冬コレクション『It’s a Jungle Out There』でショーの最中に車に火が引火して燃える事態になってもショーを決行していることが問題になったけど、私でも決行すると思う。2001年の春夏コレクション『「Voss(ヴォス)』は、マックイーンのやりたいこと言いたいことがわかりすぎて、謎の悔しさすら感じる。私はアーティストではないのに。

でも、そうなんですよ!マックイーンは自分でも「僕は作品を通じて私的なことを叫んでるんだ」って言ってるんですけど、彼はファッションデザイナーではなくファッションアーティストなんですよ。自己表現を目的としているので。表現手法がたまたま服だっただけなんだろうな…

「わかる」といってもマックイーンの性癖が強く出ているコレクションは全然同感できないし、なんなら普通に気持ち悪いなって思っちゃう。けど、それ含めて「こんな気持ち悪いと感じるコンセプトのコレクションもあるのに、わかる気持ちを持ってしまうことがヤバい(よくない)な」と思ってて。

詩人と商人の合体

上記で「マックイーンはアーティスト」って話したけど、彼のすごいところはトム・フォードも申している通り「詩人と商人の合体」ってとこだな、って思ってる。
あそこまで圧倒的な"自己表現"をしながら、お金のためにジバンシィのクリエイティブディレクターを務めたのも、ちょっと"正気じゃない"感じしません?自己表現特化型って「お金より表現、この枠では自分を表現できない」と感じたら、商売的なことに目を向けない気がしていて。でも、マックイーンはお金がないとすべてが成り立たないことをちゃんと理解している。その商売と自己表現のバランスの上手さをトム・フォードは「詩人と商人の合体」って表現したと思っていて。この、あまり合体することがない、というか合体させにくいaとbを1人の人間の中で合体させてるのが"正気じゃない"感じに繋がってもいるのではないか…?

マックイーンのお母さんが「子供には金銭面で苦労させていない」と言う発言をしているんだけど、かたや誰の発言かは忘れちゃったんだけど「あの環境からデザイナーになる道のりは決して簡単ではない」(意訳)と発言していて、ここの対比をとてもグロく感じた。

あと、ほんとどうでもいいんですけど、当時のトム・フォードがどうしても黄猿(ワンピース)に見える…

マックイーンの奢り

マックイーンは「作品を見れば僕がわかる」と発言していて、そう言いたくなる気持ちがわかるほどマックイーンのコレクションは全部「自己表現」なんだと思う。
当時のインタビューでも「引き継ぎは無理だよ 僕のショーのテーマをどうやって考える? 僕のショーはすべて私的なのもなのに」と発言している。

私は「わかる」けど、それはマックイーンの奢りだと思う。確かに作品は全て自己表現、私的なものなのだと思う。実際、『Alexander McQUEEN』というブランドは続いていても、『マックイーンのショー』は二度とできない。けど「作品を見れば僕がわかる」のは、それは奢りだと思う。わかるのはその人の一面だけ。伝わらないことの方が多いよ。

人は誰しも自分のことも相手のことも完全に"わかる"ことはなくて、だからこそ「どうやったら相手に伝わるか」「どうやったら相手のことを"より"理解できるか」を考えながら、言葉で伝えること、言葉で伝えようと努力することが大事なんだと、私は考えていて。
その補助的ツールとして、ファッションがあり、絵があり、音楽があり、ダンスがあり、物語があり、表現があるんだと思う。それぞれのツールから伝わることは多くて、観た側がわかることも多い。むしろ、切り出した一部分の感情だけなら言葉で伝えるよりも伝わりやすいこともあると思う。だけど、マックイーンはきっとショーが全てだったから。

けど、人とコミュニケーションをとっていくのならば、"言葉"で伝えることはとても大切だと思う。

マックイーンは「孤独に沈むときもある 人生にはー ファッションより大事なものがある」と発言していて。あくまでも私個人の勝手な考察だけど、マックイーンの「自己表現」の根底にあるのは"怒り"ではなく、"受け入れてほしい"という気持ちなんじゃないかな…?
"怒り"って二次感情なので、怒りの奥には何かしらの一次感情があるはずで。それがマックイーンの場合は"受け入れてほしい"という気持ちだったのでは?と思う次第です。

ナメんなよ

「彼の服で 女らしい気持ちになるけど "ナメんなよ"って気にもなる」というショーに参加していたモデルの方の言葉を聞いて、私自身、自分の根底に常に"ナメんなよ"って気持ちがあることに気づきました。私の中の"ナメんなよ"は「私のことを見た目だけで実際の実力より低く見積もるなよ」って感覚に近くて。

で、この"ナメんなよ"精神が私の中でどこに行き着くかっていうと「全方位完璧でなきゃ」って意識に行き着くのです。恥ずかしい…
普通に(って言葉はあまり好きではないけど、ここではあえて使う!)、全方位完璧なんて無理じゃない?というか、あり得なくない?

けど、私は高校生のときまで結構真面目に「全方位完璧でいなきゃ」と思っていて、で、さらに「全方位完璧でいなきゃ」の後に何が続くかっていうと「好かれない」が続くのです…こわ…

そんなわけないじゃんね!?というか、全方位完璧は無理なのよ!そんな人いないの!!そもそも人に"完璧"なんてものはないのよ…

けど、あまりにも長く「全方位完璧でなくちゃ好かれない」精神でいたために、私は今でも「これを好きだと言うことは、よくないのでは」という思考に侵されるんだけど、それが冒頭の「マックイーンに対して"わかる"と思うのヤバい」の気持ちに繋がるのです。

マックイーンが生きた10年前と比べて、今はよりコンプラが厳しくなっていて、私はそれは良いことだと思ってるんだけど、でも、好きなものを好きと発信するだけのことが難しくなっているとも感じていて…何かのコンプラや何かの差別的思考に引っかかりそうで…
(すると「全方位完璧」ではなくなってしまうということに怯えてる)

でもさ、実際今の私が「全方位完璧」かって言われると全然そんなことはなくて。不勉強ゆえの差別思考や配慮が及ばないこともたくさんあるし、英語(というかカタカナ)は苦手だし、朝は起きられないし、天真爛漫さはないし…けど、その分いいところもそれなりにあるし、親しくしてくれる人も周りにいるし、全然「全方位完璧」じゃなくても大丈夫!でも、私のこの「全方位完璧じゃないと好かれない」のさらに奥には「受け入れてほしい」という気持ちがあると思うのです。
だからマックイーンもそうだったんじゃないかなと思っての「マックイーンの奢り」の章の内容に繋がるんだけど。

マックイーンと私

でもさ、そもそも自分で自分自身を否定している限り受け入れられるのは難しくない?そもそも自分が自分を受け入れてないわけだしね。

というわけで、私は『Alexander McQUEEN』というブランドを好きなことをここに認めます!やっぱり好き!
こんなにシンパシーを感じているのにそれをないことにはできないよね。
イザベラ・ブロウが目をかけたのわかるよ〜トム・フォードが嫉妬してしまう気持ちもわかるよ、カッコいいよね『Alexander McQUEEN』というブランドは!!(世界のファッション業界の牽引者たちに対して共感がライトすぎる)あと、イザベラ・ブロウがマックイーンを「Alexander」と呼びたがった気持ちもわかる。アレキサンダーってカッコいいよね、名前。

なんか私の内面の話が多くなっちゃったけど、映画内ではマックイーンのドラッグ使用についても語られていて、幻覚や幻聴が出てきて周りがそれに振り回されている説明もあり、マックイーン自身も辛かったろうけど振り回される周りを不憫に感じてしまった。やっぱり私はドラッグを使用することはどんな理由があっても許容できないなと改めて思いました。世界ではドラッグに対するルールが違っていることを前提としても、使用するのはいけないと思う。
だけど、ドラッグを利用しないといけなくなるほどのストレスや孤独があったことには同情する。ドラッグ以外の解決策や緩和策はなかったかな?と考えています。

映画としての『McQUEEN:モードの反逆児』はマックイーンの自己表現の異端性と自己破滅への道がわかりやすくて、観やすかった。特に周りの女性たちがみんなそれぞれ魅力的で嬉しかったな!"ナメんなよ"精神はもっとポップに使っていきたい!

以上、感想でした!
約5,500字書いてる…長…





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