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夏の日の思い出は

握りしめていたものを手放すと
サラサラと砂のように手のひらから零れ落ちた。

あれほど胸を傷めたり、愛おしいと思った瞬間でさえも
時間という処方で形を変えていった。

とても大切にしていた団扇があった。


暑い夏の夜、ホテルに近い老舗の鰻屋へ足を運んだ。
その際帰り際に、お店から団扇を頂いた。
二人で訪れたのに、団扇は一つだけで
「もう一つあったらよかったねー」と話して
「せっかかくだから君が持ってればいいよ。」
と譲ってもらった。

なんでも日本画家 石踊達哉氏の
白いヘチマの花を描いたものだった。
調べてみるとこの店は毎年違った
石踊氏の作品を団扇にしてお客様に配っているらしい。
裏面にはひっそりとお店の屋号が書いてある。
何とも上品な団扇で私はそれを会社に持って行って
暑い夏はパタパタとあおいでは
あの暑い夏のひと時と東京タワーを思い出していた。

それから2年くらいしてその人とは別れた。

今さっき、私物の荷物の中から
団扇を見つけた。
「あ・・」と思った。
一瞬、あの夏の暑い日と鰻を思い出した。
そして私は次の瞬間、夏の暑い日の
背景を外すように団扇をあっさりとゴミ箱に捨てた。

その時、長い間、握りしめていた思い出が砂のようにサラサラと
零れ落ちていった。私が大事に握りしめてたものは
もう残っていなかった。

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暫くすると・・それと入れ替わるように
包み込むようなあの人の大きなたたずまいや
笑顔が流れ込んできて、私の心は
安心で包まれていった。






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