オリジナルを超えることがだからこそ
テレビで、フジファブリックの「若者のすべて」を聞いてから
10年前に若くして亡くなった志村さん(ボーカル)のことを
ぼんやりと考えている。
色んな人がカバーをしているが、当たり前だけど
志村さんを超える人はいない。
彼の切ないような鼻にかかったような
夏の終わりにぴったりの唄を聞いていると
不思議と情景が目に浮かんでくる。
音楽の力って凄い。音が人を引き寄せる力って凄い。
フジファブリックはボーカルを新しく迎えて
音楽活動を続けているけれども
あの歌は永遠に彼のものだ。彼の魂だ。
↑関係ないけど、私の知り合いにそっくりだ。
話を変えるけれども
この間FBで友達が
「人は寂しくなると元彼元カノに会いたくなる。
それは脳が知ってるという安心感を求めているだけ。
脳は未知が嫌い。それは復活からの欲求。
だから、恋復活ではないっ」と書いていた。
↑この話を読んで、わたしはふと
若者すべて=カバーはオリジナルを超えることはないってのに
似てるなぁって思ったんです。
振られてしまって元彼元カノが忘れられないってのは
オリジナルラブだと・・。
↑すいません<m(__)m>
オリジナルってのは、綺麗な箱に詰められた花みたいで。
いつも美しい部分だけとても強調されていて
そして、その作品はの他の人では再現できないように
思えてしまう。
安心感ってとっても不思議で・・
良い部分だけではなく不安なところも・・
思うようにならないことも・・全て
安心感に書き換えられてしまうことが多い。
特に恋愛について言えば。
なんでかっていうと、DVの人がそうであるかのように
暴力を振るわれた後、優しくされてしまうと
赦してしまうのは
恐れが安心感に上書きされてしまうからだと思う。
つまり、それだけ人の脳は未知なこと
変化が苦手なんだと思う。
恐れ<安心感=変化を好まない
そしてまたフジファブリックの志村さんの話だけど
あーやっぱり、彼の歌は永遠に彼のものだ。
人の心は永遠ではないけど。
でも、変化っていうからなんかこう
古いものを捨てるような無駄にするような
気持ちになるんじゃないかって思うんだけど。
好きも嫌いも本来は
ふり幅は同じなんだと思う。
人の心は恒常性があるから
振った分だけもとに戻るようになってる。
そこに自分の魂を括りつける必要は
ないんじゃないかなって私は思う。
手放したらその分入って来るのさ。
手放してみないとわからないのだ。
手放すことは悪い事じゃない。
前に進むために荷物を軽くしてるって
思えばいい。
ちなみに、わたしが誰かに振られたとかそういう
話では無くて(笑
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