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PS2が欲しいと言えなかった


自分の本心や願望がよくわからないなと感じます。悪い意味で多くを求めない生き方をしているような気がします。

私はアルバイトをしたことがありません。
かといって学生時代十分なお小遣いを貰っていたわけでもないんです。お金はなかったんです。

なにをやっていたんだろうとふりかえると、必要なものは都度親に言ってそのお金を出してもらっていた記憶があります。
欲しいもの、じゃなく必要なもの。

いつからそんな風になってしまったのか。

それの最初を覚えてます。小学校6年から中1のときソニーのPS2が発売された時です。
欲しいと思ったけど言えなかったんですよね。

その頃、3つ上の姉が私立の高校に行きました。どうやら私立はお金がかかるらしいと知った。
そういう金の話を家で父親がするのをよく聞いてました。金がかかるとか金がないという嘆きです。
今思うとウチは金持ちではなかったけど貧乏でもなかった。中流だと思う。習い事もさせてもらってたしね。

でもいつからか家の経済状況に配慮するようになっていました。
私は公立の工業高校を選んで卒業後働きに出ることを決めます。そのときは自分の意志だと思っていたけどそれも配慮のバイアスがかかっていたと思う。
一方で姉は私立の大学へ行きます。

そんな自由な姉を当時はかなり恨んでいました。
金のかかる進路を選ぶ無神経な奴。
お前の無神経のせいでおれは選択肢さえ無いんだと。

でも間違ってるのは私です。
姉みたいに自分がやりたいことを優先させるのが正しい。
勝手に親に配慮して勝手にキレてるほうがおかしい。
姉は現在、30代半ばで看護師の専門学校に通い出した。本当にエネルギッシュな人だと思う。

じゃあ私は?なにがやりたいのか未だによくわからない。
人間関係もそんな感じになってしまっている。
なんだか、傷つかないけどなにも手に入れられない人生を送っている。そしてそれでいいとも思っている。つまり諦観に逃げている。どんなにみすぼらしい姿でもそれで幸福だと思えるならそれでいい。それは正しいんだけれど、望まないようになった自分を正当化している面もある。

自分の人生を生きなきゃな、と思ってはいる。
誰かに配慮することで自分の存在価値を見出す人生は終わりにして、欲しいと言えるものを見つける人生にしなきゃいけない。

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