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壊される鏡台

フリーマーケットの主催者の話だ。
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昔ある女が嫁入り道具に鏡台を持参した。見合い結婚だったので、ろくに知らない家に入った心細さから、暇があればいつも鏡を眺めていた。
ある晩に鏡を見ながら髪を梳かしていると、鏡の中の自分と目が合った。目が合っただけでなく、それは話しかけてきた。
「私はお前の息子に壊される」
そこで目が覚めた。夢だったのだ。
数年後、彼女は男の子を生んだ。相変わらず鏡に執心していたが、息子も大層かわいがった。大きくなるにつれて子は活発になっていき、家のあちこちに行くようになった。
彼が小学生の頃、口紅で鏡に落書きをしたことがあった。母はそれを見て火がついたように怒り、息子を責めた。この時、彼女はあの夢のことを思い出した。それから彼女は息子を疎み、鏡を守るように寝室に籠りはじめた。

息子が思春期になり、部屋に篭って自分を避ける母を半ば憎むようになったのも自然なことだ。ある時、母が小用で部屋を離れた隙を見て、息子は木製バットを持って部屋に入り暴れ回った。そして、鏡は割れた。

音を聞き慌てて部屋に戻ってきた母は、割れている鏡を見て呆然とした。しかし、割れた鏡の破片で息子が血を流しているのを見て、息子に恐る恐る近づいた。彼女は、この時はじめて自分がおかしくなっていたことに気づいたという。

その後、母と息子の関係はゆっくりと改善した。嫁入り道具の鏡台は、数十年経った今も鏡のないまま家にあるという。
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又聞きの又聞きなので短い、しかも都市伝説的な話だ。
「卵が先か、鶏が先か」、夢告がなければ母と子の関係は悪化せず、鏡も割られなかったのではないか、という話。この手の類話を外国の昔話で読んだ気もするのだが、さて何だっただろう。
この話で注目したいのは二点。鏡と台がセットになった家具の、鏡の方に思念があり、本体として意識されていること。もう一つは、鏡が予言をすることである。
認知科学的に考えても、人の姿を写す鏡に擬似的な人格を感じるのは自然だ。鏡を神体とする日本の信仰もここに源があるだろう。
また、古代から鏡は占いや呪いに使われた"と言われている"。祭祀遺跡から鏡が出土することがあるが、どのように使われたのか実態が不明のため、鏡の位置づけは非常に曖昧である。神への捧げ物あるいは祭場の飾り物に過ぎなかったのではないかという説もある。しかし、古代はともかく近代以降の認識では鏡は「呪術的なモチーフ」であり、物語でもそのような立場を確立している。
夢告する鏡はこの近代以降の「呪具としての鏡」像に合うが、予言の要素やその内容は「白雪姫」からの直接的な影響も感じられる。以上から、ストーリー自体は非常に現代的ではあるのだが、「嫁入り道具」や「鏡台」という部分がやけに古臭いので、話が伝わる過程でそれなりの年齢の人を介したのではないかと邪推してしまう、味わいのある話だった。

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