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雪降る春に

変わった神様の話をしてくれた人がいた。
その人の生まれたところは関東の、いわゆる里山の村だそうだ。山と川と田んぼに囲まれた田舎で、雪深くもなく、他所と比べて特段変わった暮らしぶりではなかった。しかし、毎年一日だけ、特別な日があったという。

村では夏に鎮守さまのお祭りがあったが、三月の初めにも別の神様の「マツリ」の日があった。夏祭りの賑やかさとはまるで違い、その日は一日、窓や戸・雨戸を全て閉じて家に籠らなければならない。だから、その日を「オイミ」とも呼んだ。

親にはマツリの日は怖い日だと教えられた。「ヤマ」から降りてきた神様が村内を歩きまわるので、見ると目が潰れる、という。小さい頃に聞いた時は、訳も分からず怖くて仕方なかった。
その頃は、まだお便所が外にある家も多かったので、そういう家ではマツリの日、肥桶を玄関や土間に置いて用を足して、ずいぶん嫌だったそうだ。なるべく煮炊きもしない方が良いらしく、前日に作り置いた食事をとった。

夕方になると、村方の人が大声で触れ回ってくれるので、それでマツリが終わったと分かる。その後は、雨戸や戸を開け外に出て、同じく出てきた隣近所の人と「めでたい、めでたい」と言い合うのが慣しだった。

大きくなって知った事だが、村方は年番交代で、毎年、男二人が勤めていた。この人たちは大変だったらしい。
全村民が閉じ籠る日、二人だけ夜明け前にヤマへ行く。ヤマは村に接する山々の突端で、ごく低いのだが、こんもりと木が生い茂っている。民家が密集する所からヤマまでは田畑が広がり、畦道が続く。

ヤマの前に着いたら、村方はヤマを背にして夜明けを待つ。日が昇ると、二人は並んで村中を巡りはじめる。百足らずの家々を巡る間は、一言も発してはならず、振り返ってもいけない。
そうしてぐるっと村を巡ってヤマの前に戻り、儀式は終わる。お巡りは昼前には終わるのだが、村方は日が傾くまで待って、人々に終わりを告げにいく。
このお役の間に見聞きしたことは、生涯「言わず語らず」とされていた。

ヤマからくる神様とはなにか。ヤマには祠や社はないが、「ヤマゴゼサン」がいるという。「ゴゼ」というのは「瞽女」で、目の見えない女性らしい。目が見えないから村方が案内するのだというが、なぜそんな神様がいるのか、なぜ案内するのか、いつマツリが始まったのかは、誰も知らない。

ある年、降雪の少ないこの地方に珍しく、三月に雪が降った。雪はマツリの日も降り積もった。
マツリが終わって家の外に出ると、先に出ていたらしい村人が数人、辻のあたりで騒いでいた。
彼らが見ていたのは、雪に残った足跡だ。村方二人の歩いた跡の上に、重たい簑のような物を引き摺った跡が延々と続いていた。
村方は青い顔をして「自分たちが通ったときはなかった」と首を振った。
その夜は誰もが、村方が歩いた跡を追ってゆっくりと這う、蓑を被った盲目の神を想像したことだろう。

その年から、「ヤマゴゼサン」のお役をやりたがる人がいなくなった。マツリだった日に家に籠る人は多かったが、案内しなければ村に入ってこないだろうと、それも次第になくなった。あっという間に風習は廃れて、今はもうない。田畑は宅地になったが、「ヤマ」は手付かずでまだ残っている。

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