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AIと著作権(7)

著作権法に関する文章です。4月は毎週水曜日に書きます。
(4月に書きましたが、7月にアップロードしています)

AI出力の段階での著作権侵害

前回に引き続き、生成AIが出力したモノが著作権を侵害するか、という問題です。
生成AIは、学習のために使用した著作物をもとに画像や文章などを生成します。そのため、過去の著作物に似ているモノが出力されることがあります。
このとき、後の著作物が前の著作物を真似して作った(依拠性)と言えるかどうか、判断することになります。

それでは次に、AI著作物の出力に際して、依拠性を否定する見解をみてみます。

以前紹介した「報告書」での、3つめの見解と4つめの見解です。

・一方で、著作物が創作的表現としてではなくパラメータとして抽象化・断片化されている場合等は、アイデアを利用しているにすぎず依拠を認めるべきではないのではないかとの指摘

3つめの見解は、「パラメータとして抽象化・断片化されている場合」には依拠性が認められない、としています。

たとえば、古文の文学的文章を私が作成するときには、私は今まで自分が読んできた文章を思い浮かべてそれを使って文章を作ります。しかしそれは依拠(=マネ)かといえばそうではなく、断片的なフレーズや言い回しを使っているにすぎません。(マネできるほど私は古文を覚えていません)
文章をマネすれば著作権法違反になります。しかしたとえ随所に使われていたとしても断片的なフレーズだけでは、著作物性が否定されることになります。

これは、「断片は創作的表現ではない」と考えることもできますが、別の角度から「断片の使用が禁止されれば新たな著作物の作成ができなくなる」と考えることもできます。
この角度からの考え方に近いのが、4つめの見解です。

・また、人間の創作における依拠とパラレルに考えた場合、仮に著作物へのアクセスがあれば依拠があると認めてしまうと、著作権法上の独自創作の抗弁が機能しなくなり表現の自由空間が狭まるおそれもあるとの指摘

この場合、通常はAI出力に対しては依拠性は認められず、例外的に、出力者が、特定物あるいは特定人物の作風をもとにしたような生成物を作るように指示した場合に、その出力者に対して依拠性が認められる、という主張につながります。

さて、依拠性について考えるうえでよく挙げられる視点として、自然人の依拠とAIの依拠との関係性、があります。
AIの依拠性について、どの程度まで人の依拠と同じように考えられるのか、という問題です。
言い換えると、「AIはマネができるのか」ということです。

絵画作品を例にとると、人がするマネとは(程度にもよりますが)、元の絵の特徴や形状を認識して、それを自分の作品として表現します。AIの学習モデルが人の学習とは異なる以上、「AIにはマネという行為は存在しない」という考え方もできます。
たしかに、無理に人の学習に引き付けて考えるよりも、AIの最適化処理は人間の処理とは別物だと考えるほうが適切かもしれません。

そのうえで、AI生成物をどこまで許容するか、制限するか、という判断をする際に、自然人による依拠行為を参考にする、というスタンスが適切だ、ともいえそうです。

自然人による依拠については、一般に、
・既存著作物が侵害作品に利用されていること
・既存著作物の表現内容を利用する意思があること
が要求されます。
これにより、例えばオリジナルの文学作品を執筆する際に行われる依拠行為と、デジタル作品を複製するような場合を分けて、「既存著作物の内容を認識しているか」が著作権侵害を認定するために必要かどうかが分かれる、という見解が主張されることになります。

(続きます)

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