安楽死の是非

導入

とりあえずまず最初に言っておくとこの犯行は別に優生思想に則ったものではありません。

優生思想というのは、「優秀な人間の遺伝子を残し、無能な人間の遺伝子を淘汰しよう。」という思想なわけですが、この犠牲者の女性は年齢的にもう子孫は残せませんからね。

優生思想に則るのならば、例えば働かない若いニート達や生産性が無い若い障害者などを淘汰しようという風になるはずです。

この犯行は「動くことすらできない人間の尊厳」、「自殺願望」、「高齢者による社会的負担」などが絡み合った実に複雑な背景を有しています。

今回は犯行そのものについてはあんまり言及せずに、この事件を機にツイッターでも議論されている安楽死の是非について書いていきます。

論点①命の重み

近代の民主主義国家において、「人の命は地球よりも重い物」とされています。人権思想の根幹ですね。

それ故に例え犯罪者相手であれ、あくまでも更生を期待しますし、先進国の中には死刑を廃止した国も存在します。

そして何よりも重大な論点として「命は落としたら取り返しがつかない」ということがあります。安楽死の後になって安楽死した人物の関係者が後悔したとしても、もはやどうしようもありません。

また、↑のような意見もありましたが、仮に安楽死の法律が施行された場合、当たり前ですが氷河期世代の皆さんが安楽死で亡くなった後にもこの法律は残り続けます。

そうすると、例えば今後何かしらの不況が起き、氷河期世代のように職にあぶれた若者が沢山出た場合も、「安楽死すればいいじゃん」という風になるんですよね。

これも当たり前といえば当たり前なのですが、「経済を改善し、職にあぶれた人間を救済するコスト」よりも「あぶれた人間を減らすコスト」の方が安いですから、結果的に人権思想を否定することになりかねません。

安楽死が既に認められているスイスではそういうことにはなっていませんが、それは実際のところ基準が厳しいからです。↓

どんな人が自殺ほう助を受けられるのか
自殺ほう助団体によって条件や手続きは若干異なるが、ライフサークルでは▽不治の病気▽耐え難い障害や苦痛を抱えている▽直接生死に関わる病気ではないが、治る見込みがなく、QOL(生活の質)の著しい低下が明らかに見込まれる疾患(認知症や多発性硬化症など)―が条件。未成年者、判断能力がない人、深刻な身体的苦痛のない精神病患者は除外される。  https://www.swissinfo.ch/jpn/culture/死ぬ権利_スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと/45451154 から引用

少なくとも、スイスの基準でも氷河期世代の皆さんの殆どは安楽死を受けられません。スイスもちゃんとした先進国なので、少なくとも法律上は命の扱いにはかなり慎重なのです。

論点②本当に死にたいと思っているのか?

こちらは有名ツイッタラーのにゃるらさんの絵日記です。

端的に言ってにゃるらさんは鬱病なのですが、この絵日記で登場している「不安を取り除く薬」を飲むと、不安感などが消え楽しい気分になります。

恐らく、他の鬱病の人達も同じような薬を飲んでいるはずですが、こういった薬を飲めばいわゆる希死念慮も一時的に消えてなくなります。

ここで論点となるのは「果たしてこういう精神病のみなさんは本当に死にたいと思っているのか?」ということです。

なにせ、薬を飲めばそれで死にたくなくなるわけですからね。とはいえ、普段の希死念慮も本音と言えば本音でしょうから判断がつきません。

少なくとも現状の医療で一時的とはいえ改善させることは可能なわけですし、将来的にはもしかしたら完治させることも可能になるかもしれません。

もしそうなったら、そもそも安楽死の法律そのものが必要なくなりそうですね。

少なくとも、「鬱病の人達を安楽死させればそれで本人達は幸せ」、という簡単な解答はできないようです。

スイスの安楽死の基準で、希死念慮のみの人間が安楽死を受けられないのは恐らくこの辺の事情も考慮しているからでしょうね。

終わりに

少なくとも日本を始めとした民主主義国では安楽死については慎重にならざるを得ないようです。

まあ人の命には代替性が無いですもんね。

氷河期世代の皆さんはどうにか救済されて欲しいのですが、果たしてどうすればいいのか私には分かりません。とりあえず政府がもっと金を出せば良いとは思いますが。

今後、世界中で格差や分断がどんどん広がるだろうということが分かっているので、それの対策のためにも日本政府には「大きな政府」を今からでも目指して欲しいところです。

では、今日はこの辺で終わります。ではでは。

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