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杉田水脈議員と「生産性」発言について

自民党杉田水脈議員が新潮45 2018年 8月号に寄稿した”LGBTは「生産性」がない”という発言が炎上していますが何が問題だったのでしょうか?
問題となった新潮45 2018年 8月号の「生産性」発言を見てみましょう。

リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
 例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
(原文ママ)

読んでみましたが問題だとは思いませんでした。
この発言を問題だと騒ぐ人達は何が気にくわなかったのでしょうか?

批判的な人を理解してみよう

批判的な人が何に怒っているのかを知るためには批判的な人の主張をまず聞いてみなければなりません。
そのためにブログやツイートを見て回りました。
見て回った結果、批判的な人はみな杉田水脈の差別を許さない!という意思表示をしていることが分かりました。
つまり杉田議員の寄稿を差別だと思うから騒いでいたんですね。
なるほど、差別ですか。
差別的なことを言っていましたか?

差別ってなに?

本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること
それが差別です。
本人の努力によってどうすることも出来ない事柄というのはつまり属性のことです。
たとえば人種、性別、家柄といった属性は本人の努力によってどうすることも出来ない事柄ですよね。
差別は差別思想から生じるものであり、アメリカの黒人差別を見れば差別は差別思想によって生まれると容易に理解することができると思います。

差別狩り

「生産性」発言で起きた炎上は完全に差別狩りといえるでしょう。
差別狩りと聞いたら言葉狩りを思い浮かべる人もいると思いますが、言葉狩りとどう違うの?と思いますよね。
言葉狩りは禁止用語という明確な基準があります。
しかし差別というのは明確な基準はありません。
①特定の属性に向けて
②不利益を生じさせる
①と②が成立していまえば差別です。
この条件は成立しやすいかどうかでいえば成立しやすいといえるでしょう。
不利益であると故事付けることさえできれば差別は成立しますから。
被害妄想をたくましくすれば不利益であると故事付けることなんて容易です。
つまり差別であると決めつけることなんて簡単にできます。
私は杉田議員の「生産性」発言は差別狩りの被害にあったと見ています。
事実を話したら差別であると断じたり、ポジティブに捉えることもできることを話しても差別であると断じる、そういう差別ビジネスはもうやめませんか。

LGBTは「生産性」がない

「生産性」発言を受けて批判的な人々は杉田議員を批判しているわけですが、杉田議員は事実しか言っていません。
子供ができないカップルとLGBTのカップルの支援、どちらが国益に適いますか?
当然に子供ができないカップルの支援ですよね。
国益的に子供ができないカップルの支援は「生産性」があり、LGBTのカップルの支援は「生産性」がない、これが事実じゃないですか。
杉田議員は事実を言っているだけです。
国民は国益に適わないことに税金を出したいと思いますか?
思いませんよ。
国民の中にはLGBTを救済すべきだと思う人もいるでしょう。
そう思うなら個人でやってください。
LGBT問題は国民全員の問題ではありません。
自分の趣味に他人を巻き込むのはやめましょう。

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