側頭部
彼の側頭部が気になる。
抑揚のない先生の声。黒板から響くチョークの音。生ぬるい空気が漂う教室で、私はあくびをしながら隣に視線を移した。
隣の席は真田君。先週席替えをして、隣になったけれど、まだ一言も話をしたことがない。
重めの前髪から覗く一重の目は、世の中全てを疑っているよう。一見、近寄りがたい印象だけれど、友人と話している時は無邪気に笑っている。話をしたら、意外といい奴なのかもしれない。けれど、話しかけるきっかけがない。
教室の窓から、蜂蜜のように滑らかな光が差し込み、彼の側頭部の髪を艶やかに照らしている。
光に照らされた彼の側頭部をよく見ると、髪の流れが独特だ。こめかみ辺りの生え際から、ゆるやかなカーブを描いているのだが、耳の上では頭頂部に向けて急なカーブを描いている。
まるで、穏やかな渓流が、突然、滝となってしぶきをあげているようだ。
美しいと思った。出来れば触れてみたかった。
触れてみたいだなんて、そんなことを考えている自分が急に恥ずかしくなり、私は真田君の側頭部から目を逸らす。
シャープペンシルを無意味にノックし、白紙のノートを無意味に消しゴムで消した。
先生の声に再び集中しようとする。しかし、先ほど見た真田君の側頭部が、頭の中から消えず、先生の話す内容が全く入ってこない。
もう一度だけ、見てみよう。
私は、こっそりと隣に視線を移した。
視界に映ったのは、真田君の側頭部ではなく、重めの前髪から覗く一重の目。
目が合ってしまったことに戸惑い、私は手にしていた消しゴムを落としてしまった。消しゴムは転がり、真田君の上履きの爪先にぶつかって止まる。
真田君は消しゴムを拾うと、無言で私の机に置いた。
「ありがとう」
小声でお礼を言うと、真田君は無言で頷き、黒板の方を向いた。
おかげで私はまた、彼の側頭部を眺めることが出来る。
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