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バーコード刑事 (3)

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地下通路は狭く、四つんばいになって歩かなければならなかった。おっさんが先に進み、後に続く。
顔をあげると、スカートから伸びる、おっさんの太股。間近で見ても、程よい肉付きで絶妙な曲線、艶やかで滑らかな肌質。こんなにも完璧な脚が、今、目の前にある。触れたいけれど、触れる事のできない、禁断の果実。触れる事が叶わないのなら、せめて目に焼き付けておこう。脚の持ち主が、おっさんだということは、ひとまず忘れて……。
「もう少しですからねー!」
おっさんの声が通路にこだまし、俺は正気に戻る。
「お、おおう」
裏返った声で返事をした。
「しかし、気になりますね」
おっさんが、思い出したように呟いた。
「何がだ?」
「天才ハッカーと呼ばれるあなたが、世界を揺るがすデータよりも大事だとおっしゃったモノが、一体何なのか」
それが、あんたの脚なの! なんて、言えるはずもない。
「見つけても、手に入れることは出来ないけどな」
「なぜです?」
「……きっと、手に入らない方がいいんだ。ずっと探し続ける事に、意味があるから」
なんて、呟くと
「深いですね」
感心したように、おっさんが答えた。
通路の先から、光が差し込むのが見えた。進むにつれて、光は大きくなっていく。やがて、その光は、おっさんのバーコード頭で跳ね返り、辺りを照らした。眩い光は、まるでひな鳥を守る両翼のように、俺達を包み込んだ。

ようやく通路から抜け出した。ビルとビルの狭間から覗く青空。 降り注ぐ光の眩しさに目がくらむ。世界はこんなにも光に溢れていたのか。
「ありがとう、助かったよ」
礼を言うと
「いえいえ。無事で何よりです」
おっさんは、くいっと中指で眼鏡をあげた。
その瞬間、風が吹いた。おっさんのバーコードが風に舞い、ひらりと頭皮から剥がれた。 側頭部の毛を伸ばして貼り付けたものだったのだろう。両側から伸びるバーコードが、しなやかに風に揺れ、その隙間を、静かにトンボが通過していく。
バーコードを揺らす風は、おっさんのスカートもはためかせる。伸びる魅惑の脚は、四つんばいで通路を進んだせいで、汚れていた。しかし、程よい肉付きに、魅惑の曲線美、滑らかな肌質は変わりない。こんなにも、美しい脚を汚してまで、俺を助けてくれたなんて。
「では、私は仕事に戻ります」
おっさんは、バーコードをなびかせたまま、敬礼をする。
「せめて、名前だけでも教えてくれないか」
手に入らなくてもいい。再び、その魅惑の脚を眺める事さえできたら。
「名乗るほどのものではございませんから」
おっさんは、投げキッスをすると、バーコードをなびかせながら、ビルとビルの間に消えて行く。その後姿をひきとめようか迷った。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。あれほどまでに理想的な脚、他にあるだろうか。
しかし、相手はおっさんだ。ひきとめたところで何になる。
連絡先を交換して、休日にふたりきりで会うのか?
バーコード頭で、セーラー服を着たおっさんとふたりで、カフェで語らいながら、パンケーキでも食べるのか?
その後は、映画でも観て、夜景のきれいなオシャレなレストランでディナーか?
帰り道は、ほろ酔いで月でも眺めながら、次の約束でもするのか?
出来ない、そんなこと、到底出来ない。
見上げた空には、鱗雲が浮かんでいた。後悔にも似た思いが、点在している。もっと、目に焼き付けておけばよかった。 せめて、写真にでもおさめておけば……。
「ああ!!」
俺は頭を押さえて、空に叫んだ。
いくら魅力的とは言え、おっさんの脚だぞ。バーコード頭で、セーラ服を着たおっさんだぞ。血迷うな、俺!
よかったんだ、これで、よかった。間違いを犯す前に、お別れしてよかったんだ。また、探せばいいじゃないか、理想の脚を。

冷たい風は、行き交う人々の背を丸くする。一枚上着を羽織るたびに、気持ちまで殻に閉じこもるようだ。世界は冬に近づくにつれ、閉じていき、寡黙になる。
すれ違う人々の脚だってそうだ。 あたたかい季節は、素のままだったのに、タイツやブーツで姿を隠す。 冬に近づくにつれ、理想の脚を見つけるのは難しくなっていくのである。 あの、おっさんの脚の形。いまだに頭から離れない。滑らかな曲線、程よい肉付き、艶やかな肌。すれ違う人々の中に、いつも探している。
「ひったくり!!誰か捕まえて!!」
背後から、女の叫び声が響き、バッグを抱えた男が俺を追い越し、走っていく。
あいつが、ひったくりか。
「私に任せなさい!」
背後から別の声がした。その声には聞き覚えがあった。
振り返ると、バーコード頭で、セーラー服を着たおっさんが、手のひらをパーにして、駆けて来る。
「おっさん!!」
おっさんはウインクを返し、俺を追い越すと、引ったくり犯を全速力で追っていく。
ふわりと舞うスカートから、すらりと伸びる二本の脚。程よい肉付きのふくらはぎ、艶やかな肌の太股。 理想の脚は変わりなかった。
もう、逃がさない。 手放してなるものか。
俺は、おっさんの後を追った。

To be continued.

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#小説 #コメディ

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