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ゆで卵の殻

 ゆで卵の殻がきれいに剥けた。つるりと剥けた。艶めくゆで卵の輝きに、思わず見惚れてしまう。
 古い卵の方がきれいに剥けると聞いたことがある。そういえば、この卵は賞味期限が迫っていた。
「賞味期限」
 私はその言葉を声に出してみた。

「あの人はもう賞味期限切れだからね」
 元上司の言葉が蘇る。
 長く勤めている先輩社員をそう言って鼻で笑うのだ。上司の言葉に合わせて笑うのは決まって新入社員だった。彼らは、その先輩社員にきつく指導されており、あまりよく思っていないから。
 上司は新入社員からの人気を得たいが為に、そんな冗談を言っているのかもしれない。しかし、上司なら、長く勤めている先輩社員が心を鬼にして新入社員に指導している気苦労を察するべきなのではないだろうか。
 若い子に媚びを売るような上司の態度には違和感を覚えた。そして、私も数年後、新入社員に指導する立場になり、影で賞味期限切れだと笑われるのだろうか。
 年数を重ねるたびに肩身が狭くなり、惨めになっていく。怖かった。私は、逃げるようにその職場から離れた。
 情けない話である。そんなことを気にするなんて、私はなんて弱い人間なのだろう。

 きれいに剥けたゆで卵を見つめ気づいた。
「賞味期限」
 なんて言葉に囚われすぎていたのかもしれない。そんなの、人間が勝手に決めた期限だ。自分の期限は自分で自由に決めていい。
 きっと世界も、このゆで卵みたいに、古い殻を剥いたら、艶めいて輝きを放つはず。
 私は今、古きものが新しきものへと変わった瞬間の目撃者である。

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