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不自由だった3年間が私の価値観を変えてくれた

たまに思うんです。
コロナの3年間って夢だったのかな?って。

そのくらい
世の中が不安に包まれて
大きく変化した3年間だったように思います。

私自身の価値観や
ライフスタイルも大きく変化しました。

あの時私は
どんなことを感じ
どんな風に変わったのか

振り返っていきたいと思います。



コロナが始まるまでの私

訪問看護ステーションで働いていた私は
このまま一生作業療法士として
生きていくんだろうなぁと
漠然と思っていました。

週4日働いたら
生活には困らない程度のお給料がもらえたし

やりがいもあったし
上司からも認めてもらっていたし

平日は働く。
休日はどこかに外出して家族で遊びに行く。

そんなルーティンでずっと過ごしていました。

コロナが始まって…

コロナが始まって
一番きつかったのが
子どものお迎え問題でした。

38.0℃だったお迎え要請が
37.5℃を超えたら連絡が入るようになり
当時2歳の娘は週3回呼ばれることもありました。

園長に泣きそうになりながら
実測の体温計で測ってほしいとお願いしたら
その日から37.5℃を超えることが減りました。
(予測計って高めに出ますよね笑)

世の中が全部お休みになった時
私も2週間同じようにお休みしました。
(夫の仕事がエッセンシャルワーカーとすぐに認められず…その後は医療従事者だったので働くことができました)

なんで働けるのに休まないといけないんだろう…
同僚は働いているのに私は何をしてるんだ…

閉塞感と絶望感でいっぱいになったのを
覚えています。

そんな時、誰もいない河川敷に遊びにいった

ずっと家にいるのがしんどくて
子どもを自転車に載せて
人のいない河川敷に遊びに行きました。

ただ何も考えずに子どもと遊ぶ

あれ?私今までこんな風に
子どものことちゃんと見てた?

はじめて子どもとゆっくり向き合った瞬間でした。

仕事ができない。
出かけられない。
できないことばかりになったことで

結果として
家族のことを考える時間になったように思います。

自分が感染のきっかけになるのが怖かった

訪問看護ステーションで働いていて
一番怖かったのが

「私が感染させてしまう」
ということでした。

高齢の方、難病の方が多くいて
免疫抑制剤を使用している方もいたので

私が無症状でウイルスを持っていて
もし感染させてしまったらどうしよう。
と思うようになっていきました。

リハビリ職だったので
人の身体に触れないと仕事にならないという環境…

だんだんとストレスになっていて

今思えば
ここらへんくらいから
働き方を変えたいという意識になっていったように思います。

コロナまっただ中で3人目を出産

大阪で過去最高の感染者をたたき出した
2021年の夏。

誰の付き添いもなく1人で出産しました。

お見舞いもなく静かな入院生活。

でもそれはそれで心地よくて
人に会わなくていい世の中がありがたかったです。

ここから人にほとんど会わない生活が始まります。
(産後がしんどすぎて)

結果として
内省の時間をたくさん取れて
未来について考える時期となりました。

コロナが在宅ワークを普通にしてくれた

3人目妊娠ごろから
在宅で働くことはできないか
漠然と考えるようになりました。

幸いコロナのおかげで
在宅ワークが活性化されていて
求めていた情報にたどり着くことができました。

さらに仕事を獲得でき
ゼロイチを達成できる環境にも巡り合えて
とてもありがたかったです。

意識と未来が変わった3年間

あの3年間がなかったら
私は今も普通に作業療法士として働き

一生このまま生きていくんだろうと
漠然と思っていたかもしれません。

でも世の中が大きく動き
私の意識も大きく変化しました。

あの3年間はしんどかったことも多かったけれど

多くの人の生き方や
人生観を変えた3年間でもあったのではないか
と思うことがあります。

事実私はその一人なので。

そういう意味で
「あの3年間」に感謝しています。

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